
新しい年を家族で過ごした時の思い出の詩です。家族であっても知らないことや気づけないことはあるものです。娘たちは、父が若い頃の母の姿を胸の中に抱いていたことを知りませんでした。その後、「母の若かった時の写真」が見つかり、父の胸にあった母の姿を目の当たりにした娘たち。「若かった時」の外見が美しいことはもちろんでしょうが、父が「嫁に来た時と今もちっとも変わらんねえ」と言ったのは、それだけではなく結婚当初と変わらぬ愛情を互いに持ち続けていたことがこの言葉を言わせたのでしょう。二度と戻らない家族での団らんと、その時には気づかなかった両親の心。愛情深い二人に育てられた娘たちの幸せも感じられます。<文・白根直子>
Jan 5
3 min

あけましておめでとうございます。新しい年をこの番組とともに迎えてくださり心より御礼申し上げます。永瀬清子さんは、新しい年を迎える喜びをいくつもの詩に託してきました。本日ご紹介する「美しい新年」も、そのひとつです。この詩では、「新年よ」と繰り返し呼びかけています。そこには、抑えきれない喜びがあふれ、詩全体がきらめく光をまとっているように感じられます。とりわけ「沢山の固い蕾を/人のみえない所にそつとかくしてゐる」という一節には、私たち一人一人が願いや希望を心に抱いていることが示されています。そして「心に沢山の蕾を持たう」という言葉からは、その「蕾」を持つことの大切さと、やがて花開くことを願い誓う心が伝わってきます。新しい年とともに、皆さまの心に多くの蕾が芽生え、花開いていくことをお祈り申し上げます。<文・白根直子>
Jan 1
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「あなた」と「私」は、長い年月をともにした夫婦です。あまりにも近くにいたからこそ、そのありがたさや優しさを当然のように受け取ってしまっていたのでしょう。「私」は、「あなた」がこの世を去ってしまった悲しみとともに、生きているときには言えなかった、この世を去らないと気づくことができなかった迂闊さを悔いています。それでも、「あなた」の愛を微塵も疑うことなく、今なお「私」を見つめてくれていると信じてやみません。そんな「あなた」の「私」への「藍色の愛」は、「藍色の靄」なのです。先の見えない霧ではなく、うっすらと見えそうで見えない「靄」。この世とあの世の境を感じつつも、どこかで見守ってくれている「あなた」のまなざしが、そこに確かに感じられるのです。<文・白根直子>
Dec 29, 2025
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永瀬清子は、2歳から16歳まで金沢に暮らしていました。金沢の冬の思い出が「肌ざわり」、雪景色、「子守唄」などの感覚的な断片で数珠つなぎのように語られています。そうした思い出だけでなく、「母の黒いえりまき」を取り出して身につけることで「母の思いが自分のものになった。」と実感しています。ここでは、目に見え手に取れるものとしての思い出と現実が描かれているのです。さらに、このように季節を感じることは人によって違い、その違いが人格にも表れ、「人間の柱になっている」と考えているところに注目されます。つまり、人それぞれの春夏秋冬の経験をどのように感じるかの積み重ねが、人格形成につながっていくというのです。このような視点から、人も自然の一部であるということを実感させられます。<文・白根直子>
Dec 22, 2025
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「クリスマス」は、永瀬さんが松木の家で暮らしていた頃に書いた短章です。12月になるとクリスマスのイルミネーションが輝き、きらびやかな夜景が見られるようになります。赤と緑と金色で彩られるクリスマスのディスプレイ。クリスマスソングが流れ、寒いながらも街全体が楽しげな空気になる頃です。ところが、「この田舎では何一つクリスマスらしくたのしげなものはない」と冬枯れて静かな日常の風景を描写します。そこには、「東の山の上にオリオンが、すばらしく新鮮に輝いているだけ」です。そのオリオンの輝きが永瀬さんの心を捉えました。東方の三博士が星に導かれてキリストのところへたどり着いたように。だからこそ「それがクリスマス。」と締めくくり、本当のクリスマスをオリオンの輝きに重ね合わせたのかもしれません。<文・白根直子>
Dec 15, 2025
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仕事をどうにかやり遂げて、疲れて泥のように眠る中で見た夢。「それはこわい夢だった」と、まるで自分の疲れや不安が作り上げたかのような夢でした。「現実の私なら絶対に云えぬこと」を言ったがために、はげしく後悔をしてしまいます。「まるで目もくらむ首との取引」、「誰にも助けて貰えないのに」など読んでいるだけでも身につまされます。ところが「私」は、こうした夢を見たことを、「夢が私をきっと治癒した」と肯定的に解釈し、その一方でまだ夢に引きずられるかのように「すこし癒やされて」いることで自分を失っているかもしれないとの疑問を持ちつつ、新しい一日を迎えようとするのです。いつも新鮮な気持ちで過ごそうとする「私」と、その背後には「こわい夢」をみるほど疲れた「私」はどちらも「私」であることを、光と影すなわち朝と夜にたとえており、「私」のすべてを肯定しているように感じられます。<文・白根直子>
Dec 8, 2025
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「にせ物語」は、「昔、男があった」で始まる「伊勢物語」の「こころにならい」書かれた短章です。偶然、久しぶりに再会した知人の男と昔話をして別れようとする時、「男」が負ぶい紐で「女」の背中に幼な子が落ちないように力を込めてしっかりとくくりつけるその一瞬で「女」の心をすくい取っています。「ぐうだらの彼女の夫」はそのようにしてくれたことはなく、「女」は、自分の伴侶の選び方が誤りではなかったのかと思いをいたすのです。ひょっとすると「男」は、たまたま経験があってそうしてくれたのかもしれないし、「夫」は、不器用でいつまで経っても加減がわからなかったのかもしれないのに。この時「女」が、「男」にあって「夫」に無いと思ったのは、「女」の心を考えた行動なのでしょう。「負ぶい紐」がくくりつけていたのは、「女」に対する心遣いの違いなのかもしれません。<文・白根直子>
Dec 1, 2025
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詩「季節のごとく」は、年老いてやがてこの世を去ることを待ち望む「私」を題材にしています。年老いていくこともこの世を去ることも季節のめぐりのように当たり前と捉え、刻まれていく〈皺〉を樹木の「年輪」のように静かに受けとめていきます。「血を注ぐ」元気がまだある「私」は、そのうち疲れから額に増えていく〈皺〉を思い、自分の終わりを思うのです。〈皺〉に象徴される年齢は、さらに打ち寄せる波にも、降りつむ雪にもたとえられ、死が訪れた時には「大地そのもののやうに冷える」のです。この詩は、老いと死を終わりではなく、自然への回帰と捉えることで、読む者に静かな慰めを与えているように感じられます。<文・白根直子>
Nov 24, 2025
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「パイプ」という詩は、日常の夫婦の一コマを切り取ったかのような詩です。このような困りごとは、誰しも似たような経験があるでしょう。自分でなくしておきながら、「私」をわずらわせる苛立ち。どうしてもっと気をつけないのかと思うその背後には、「パイプ」のように「私」も大切にされていない、気にされていないのではないかという気持ちも込められています。そして、この気持ちの向こうにある「貴方」と「私」の関係が見えてきます。「貴方」にとっての「パイプ」は、「ぞんざい」な扱いでなくしてしまうけれど、「なくなれば大さわぎして/一刻もそのままにはすまされない。」と、大切な筈なのに当たり前でなくてはならないものです。「私」にとっての「貴方」は、手のかかる人で大切にしてもらえないことを嘆くばかりですが、放ってもおけません。日常は、こうした出来事とその向こうにある相手への愛で成り立っていることを思わせます。この詩は、日常の小さな苛立ちの奥に潜む愛情を描き出すことで、私たちに当たり前の大切さを思い出させてくれます。<文・白根直子>
Nov 17, 2025
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絵描きの「彼」と「私」の若い頃から続く関係には、複雑な思いが絡み合っているようです。恋心とも想像したくなる「彼」に対する「私」の心。それを裏切るように「私」を試すような「彼」の行動。他の女性と結婚したことや植えられている花々にまで嫉妬心をかきたてられる「私」。年月を経て絵を求められると妻が病気なのにと怒り、妻が亡くなったことを天に帰る天女にたとえて報せる「彼」。一体、「私」は「彼」と、「彼」は「私」とどのような関係を望んでいたのでしょうか。いつも「彼」の一番でありたい「私」と精神的な支えであり芸術の理解者としての「私」を求めていた「彼」。つかず離れず続いてきた二人を結ぶ芸術は、男女の愛とは違う力でつなぎ止めており、もしかしたらその力は「悲しみ」なのかもしれません。<文・白根直子>
Nov 10, 2025
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