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1959年1月、永瀬清子は岡山家庭裁判所の調停委員に任命されました。後年の随筆「火星人はいづこ―調停室から」(『愛と自由』第1号 1981年1月)では、双方が感情によって相手の「虚像」を作り上げる現実に驚きつつ、「自分と相手を共に生かす道」を探ることが「生き甲斐」につながると述べています。任命直後から「弱い人の女性の、味方になると云っても単にひいきをするのでなく、友として一緒に考へたい」と述べ(『黄薔薇』第37号 1959年3月)、一人ひとりに寄り添う姿勢を貫いていた永瀬清子。同時期に書かれた短章「裁判と詩」は、「裁判も詩も、刻々の時間の流れの中で、共に虚無と戦っている兄妹なのだ――。」と締めくくっています。「裁判と詩」は、ともに「虚無」や「虚像」に抗い心を取り戻す営みであり、よりよい生を求める永瀬清子の姿と重なります。<文・白根直子>

