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初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方 は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られ たもので、この方によらずにできたものは一つもない(ヨハネ1:1-3)。
被造物すべてが創造主なる神によって造られたことは、クリスチャンみな知っている。しかし、 それが「ことば」によって造られたという真理は非常に大切。
信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、 見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです(ヘブル1 1:3)。
人間はみな、最初から物質の世界に生まれ、目に見える物がすべてかのようにして生きている。人が自分の手で何かを作る時は、目に見える物を使って、同じく目に見える物に作り変えるので、「見えるものが目に見えるものからできたのではないこと」は、聖書を通して教えられないことには知ることはできない。そのみことばを信じることによって初めて悟ることができる。神のことばは必ず実現するものであり、聖書は、この世界が、その創造の初めから、神のことばの成就として存在するようになったことを教えている。しかも、この「ことば」は、伝達の手段としてのことばではなく、人格を持ったひとりの神であった。箴言には、次のように書かれている。
主は、その働きを始める前から、
そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。
大昔から、初めから、
大地の始まりから、わたしは立てられた。
深淵もまだなく、水のみなぎる源もなかったとき、
わたしはすでに生まれていた。
山が立てられる前に、丘より先に、
わたしはすでに生まれていた。
...深淵の面に円を描かれたとき、
わたしはそこにいた。
...地の基を定められたとき、
わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。
わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、
神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ(箴言8:22-31)。
「わたし」とは、文脈の中で、人格をもった「知恵」のこと。この「知恵」が、ヨハネの福音書での「ことば」に当たる。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父の みもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちてお られた(ヨハネ1:14)。
この「ことば」が人として、この地球に住む人類の歴史の中に入って来られた。彼は、目に見えない神の目に見えるかたちである。目に見えない「ことば」の目に見える成就である。彼の生涯は、その誕生から昇天に至るまで、みことばの成就そのものであった。
こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死 人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレ ムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる(ルカ24:46-47)。
このことばにあるように、このみことばの実現は、イエス様に限られたことではなく、キリストにある私たちもその一部に入れられていることに注目。

