ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
キリストにあって No.6
1 hour 6 minutes Posted Sep 22, 2013 at 9:09 am.
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神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました(コロサイ1:13)。
キリストにある者は、彼に属する者とされた。それは、上のみことばによれば、「愛する御子のご支配の中に移された」ことと同じ。キリストを知る以前の私たちはみな、 「暗闇の圧政」の下でサタンに縛れていたが、今は、そこから救い出され、キリストを王とする国に入れられた。
これは、比喩的に言えば、キリストが羊飼いで(王は、しばしば羊飼いに例えられる)、私たちは彼に付く羊たちと言える。良き羊飼いは、羊のためにいのちを捨て、霊的にも物質的にも羊を養って下さる(エゼキエル34章参照)。
彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます(ヨハネ10:4)。
門を通ってくる方が、「自分の羊をみな引き出す」とは、羊たちが彼によって死からいのちに移されることを意味する。すでに学んだように、「栄光の王」が門を通って入って来られ(詩篇24篇)、羊たちを連れ出すことが預言されている(エゼキエル34:13、37:12-14)。
わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます(9節)。
「門」とは、創世記28章のヤコブの夢の話に出てくる「天の門」と同じ。その門を通って御使いが天と地の間を行き来する。イエス様は、いちじくの木の下にいた(当時、木も、門と同じ役目をすると考えられた)ナタナエルに言われた。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます(ヨハネ1:51)。
つまり、ヤコブが見た階段(「はしご」)は、キリストご自身のこと(創世記28:12)。彼の上を御使いたちが上り下りしている。言い換えれば、次のようにもなる。
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません(ヨハネ14:6)。
キリストが来られたのは、人が彼にあって父へのアクセスを持つようになるためであった。彼を通してでなければ、誰も父を礼拝することはできない。
救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です(ヨハネ4:22-23)。
「救い」とはイエス様(「救い」の意味)のことで、彼は「真理」(「まこと」)である。彼を「知って(父を)礼拝する」のが真の礼拝。キリストによらずに「父を礼拝する」ことは不可能。彼にあって、キリストを信じる者が神の子どもとされ、三位一体の神の家族の一員とされる。それで初めて、神を「父」と呼び、交わりをもって、その方を礼拝することができる。これは、キリストにある者、すなわち、キリストが心にうちに住んでいる者にとって、本当に大きな特権である。だから、パウロは次のように祈っている。
こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように(エペソ3:14-17)。