ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
キリストにあって No.4 Sat@11:30
1 hour 6 minutes Posted Sep 21, 2013 at 9:09 am.
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次のような主のことばが私にあった。「人の子よ。イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して、彼ら、牧者たちに言え。神である主はこう仰せられる。ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。牧者は羊を養わなければならないのではないか(エゼキエル10:1−2)。
このように始まる、エゼキエルに与えられた、牧者と羊に関する預言のことば。「牧者たち」とは、イスラエルの王たちを指し、「羊」はその民のこと。牧者の役目は羊を養うことだが、イスラエルの王たちはその役目を果たさなかった。それで、羊たちの状態は次のようであった。
彼らは牧者がいないので、散らされ、あらゆる野の獣のえじきとなり、散らされてしまった。わたしの羊はすべての山々やすべての高い丘をさまよい、わたしの羊は地の全面に散らされた。尋ねる者もなく、捜す者もない(5-6節)。
ヤーベの神が、羊たちのことを「わたしの羊」と呼ばれていることに注目。イスラエルの民は彼に属し、彼の羊である。これは、以下のような福音書の ことばに似ていることに気がつく。
また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた(マタイ 9:36)。
イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた(マルコ
これがイエス様の、私たち人間を見る見方。エゼキエル34章で見る、ヤーベの神の羊を見る見方と同じ。ここから学ぶことは、キリストに属する私たちが、彼にあってどんな存在であるのか、彼が私たちをどのように見ておられるのかということ。
まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。牧者が昼間、散らされていた自分の羊の中にいて、その群れの世話をするように、わたしはわたしの羊を、雲と暗やみの日に散らされたすべての所から救い出して、世話をする(エゼキエル34:11-12)。
注目すべきは、「わたしは自分で」という表現。ヤーベの神が直々、ご自分に属する羊たちの世話をなさる。さらに続けて読んでいくと、次のようなことばが出てくる。
わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。主であるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビデはあなたがたの間で君主となる。主であるわたしがこう告げる(23-24節)。
「ひとりの牧者」ということばに注目。「君主(ナシー)」とは、高くされた者という意味。これは、門を通って入って来られ、そこにいる羊たちを連れ出して下さる「栄光の王」のこと(詩篇24:7-10、ヨハネ10:1-3)、さらに、死と復活を通して高くされ、すべての名にまさる名を与えられた、イエス・キリストのことを指すことは言うまでもない(ピリピ2:9-11)。
わたしは彼らと平和の契約を結び、悪い獣をこの国から取り除く。彼らは安心して荒野に住み、森の中で眠る。わたしは彼らと、わたしの丘の回りとに祝福を与え、季節にかなって雨を降らせる。それは祝福の雨となる。野の木は実をみのらせ、地は産物を生じ、彼らは安心して自分たちの土地にいるようになる。わたしが彼らのくびきの横木を打ち砕き、彼らを奴隷にした者たちの手から救い出すとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう(25-27節)。
この「ひとりの牧者」を通してなされることが「平和の契約」によるものだと言う。「平和の契約」とは、ノアの洪水のあと結ばれた契約と同様、神様の一方的な恵みによる新しい契約のこと。人間の側の資格や努力によるのではない。