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キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです(コロサイ2:9-10)。
「キリストにあって」の自分の存在を受け入れた者は幸いである。その人は神の豊さと愛に満ち満ちている。上のみことばは、まず、「神の満ち満ちたご性質」がキリストに宿っていることを、次に、「キリストにあって」私たちが「満ち満ちている」ことを述べている。キリストにいくら、神の満ち満ちたご性質が宿っていても、私たちはキリストではなく、本来、神から遠く離れた者であった。ところが、「キリストにあって」私たちもその満ち満ちたご性質にあずかる者とされた。
この裏には、キリストの死と復活を通して結ばれた、神の契約がある。罪の結果、以前はサタンの圧制の中にいた者が、この契約により、贖い、すなわち罪の赦しを受け、キリストと一体化し、彼に与えられたすべての権威、力、また霊的祝福を彼と同じように相続するようになった。これが「キリストにあって」のあなたや私である。
神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています(コロサイ1:13−14)。
私たちの存在がキリストによるならば、その歩みもキリストによる。彼にある者は、以前の暗闇の歩み方から、彼にある新しい歩み方へ変えられた。
あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい(2:6−7)。
したがって、これ以外の歩み方をするように私たちに教えたり、勧めたりするものがあれば、それは神から出たものではなく、あなたを再び、むなしいこの世の生き方に引きずり落とそうとするサタンの罠である。それが哲学や、何かの思想であろうと、あるいは、人が何気なく語ることばであろうと、それを霊的に正しく見抜く知恵を持つ必要がある。キリストに基礎を置かないものは、みな偽物で、あなたを騙すための悪魔の手である。彼らにまねて、やがて消えてなくなる地上のものを、競争するかのように求めて生きないように。
あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません(8節)。
常にキリストにある自分として、物事を判断し、行動することが鍵である。今、イエス様が私たちをどのようにご覧になるかを、彼のことばから探ってみよう。
わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。彼らはあなたのみことばを守りました(ヨハネ17:6)。
これは、彼が十字架にかかって死なれる前の晩、ご自分の父に祈られたことばである。父が「わたしに下さった人々」とは、言うまでもなく、弟子達のこと。これらのことばから、彼らが完全にご自分に属し、ご自分に付く者であって、ご自分の責任の下に、彼らの存在がご自分に全部任されているという、彼の意識がよく伺える。これが「キリストにある」あなたや私であって、この自分を受け入れて生きて行くことが鍵である。

