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「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ」と主は仰せられる(イザヤ54:1)。
一見、逆説的に見えるこのみことば、単に、子どもの産めない女性達を慰めるためのみことばではない。聖書には、不妊の女の話しがよく出てくる。神様が、そのような女性たちを使い、その信仰を通してご自分の栄光を表された。アブラハムの妻サラ(創世記11:30以降)、イサクの妻リベカ(創世記25:21)、ヤコブの妻ラケル(創世記30章)、マノアの妻でサムソンの母(士師記13章)、エルカナの妻でサムエルの母ハンナ(1サムエル1章)、ゼカリヤの妻でバプテスマのヨハネの母エリサベツ(ルカ1章)たちはみな、最初は子どもができず、奇蹟によって子どもが与えられ、生まれた子どもは、母の胎にいる時から神に選ばれた者であった。同じことが、人目に隠れたユダヤ人、神のイスラエルに関して言える。上のみことばは、ある時期、ヤーベの神から離婚されてしまったイスラエルの贖いとその回復を預言したものであるが、それが、霊にあるイスラエル、即ち、キリストにある約束の子供たちにそのまま当てはまる。子どもを産めない状態から、神の創造の業が、キリストを通して私たちに起きた。
パウロは、イザヤ書のこの箇所を引用しながら、キリストにある者たちの霊的立場について、次のように説明している。
このことには比喩があります。この女たちは二つの契約です。一つはシナイ山から出ており、奴隷となる子を産みます。その女はハガルです。...しかし、上にあるエルサレムは自由であり、私たちの母です。すなわち、こう書いてあります。「喜べ。子を産まない不妊の女よ。...夫に捨てられた女の産む子どもは、夫のある女の産む子どもよりも多い(ガラテヤ4:24−27)。」
私たちは、地上にあるエルサレムから生まれたのではなく、上にあるエルサレムから生まれた者。創造の業は、ハガルに起きたのではなく、不妊の女サラに起きた。それによって生まれた者は、約束の子ども。その上には神の変わらない恵みと祝福がある。
あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。あなたは右と左にふえ広がり、あなたの子孫は、国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。恐れるな。あなたは恥を見ない。恥じるな。あなたははずかしめを受けないから(イザヤ54:2-4節)。
私たちの母の夫は、創造の神である。
「あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。あなたの贖い主は、イスラエルの聖なる方で、全地の神と呼ばれている。主は、あなたを、夫に捨てられた、心に悲しみのある女、見捨てられた若い時の妻と呼んだ」とあなたの神は仰せられる(私訳、5-6節)。
この夫は、ご自分の妻をこの上もなく愛された。その結果生まれたのが私たちである。
「わたしはほんのしばらくの間、あなたを見捨てたが、大きなあわれみをもって、あなたを集める。怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ」とあなたを贖う主は仰せられる(7-8節)。
この妻が見捨てられたのは、彼女の淫行のせいだ。夫が見捨てたというより、妻が夫を捨てて、他の男の所に行ってしまった。それでも、この夫は、ご自分の妻を愛された。
このことは、わたしにとっては、ノアの日のようだ。わたしは、ノアの洪水をもう地上に送らないと誓ったが、そのように、あなたを怒らず、あなたを責めないとわたしは誓う。たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない(9-10節)。
創造の業は、愛のある所に起きる。愛がなければ、創造の業は起きない。憎しみは破壊を生み出す。私たちが互いに愛し合うのは創造の業のためである。
しかし、私は新しい命令としてあなたがたに書き送ります。...なぜなら、やみが消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。...兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです(1ヨハネ2:8−11)。

