ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
創造の神 No.14 Sat@1
1 hour 6 minutes Posted Jul 6, 2013 at 9:09 am.
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そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行いをむさぼるようになっています(エペソ4:17−19)。
エペソの手紙は、旧約聖書をキリストにあって要約したようなもの。今まで見てきたように、この手紙の裏には、旧約聖書全体がバックに流れている。言うまでもなく、4:17以降は、旧約聖書においては、モーセを通して与えられた律法の部分に当たる。ただし、旧約の律法と新約における戒めとは、本質的には変わりないが、その守り方の点において、大きな違いがある。なぜなら、私たち新約の下にあるものは、キリストの死と復活を通して、神の義とされ、霊的に生まれ変わった者であるので、肉によって歩む必要がなく、霊によって歩む者になったからである。したがって、旧約の時代の人々のように、肉によって律法を守ろうとしたが、それに失敗したという体験を再び繰り返す必要はなく、最初から霊によって、律法の要求するところが私たちに中で成就される形で、律法が全うされることに成る。その違いは、すべてキリストにある。したがって、私たちの学ぶべきは、聖書の文字というより、キリストという生きたお方そのものである。
しかし、あなたがたはキリストを、このようには学びませんでした。ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから(20-21節)。
それは言い換えれば、私たちが、キリストにあって新しく作られた者であること、その信仰によって生きることであって、古い人を脱ぎして、新しい人、もっと言えば、キリストを着て生きることを意味する。
その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした(22−23節)。
バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです(ガラテヤ3:27)。
肉に言い聞かせるようにして一生懸命に律法を守ることによって義を得る生き方とは随分違って、私たち、キリストにある者は、自分のために死んで復活して下さった方を信じる信仰によって、神からの超自然の力で生きる。ご存知のとおり、新約においては、律法の「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神を愛せよ」という第一の戒めが、すでにキリストにあって成就された形になるので、あとは「あなたの隣人を愛せよ」という第二の戒めのみを守れば、律法全体を守っていることになる。
律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるのです(ガラテヤ5:14)。
したがって、パウロは、十戒で言えば、前半を超して、隣人に対して「偽りの証言をしてならない」にあたる戒めに相当するものが始めている。
ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい(エペソ4:25-27)。
そして、「盗んではならない」の戒めに当たるものは、次のようになっている。
盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい(28節)。
人の持ち物を盗むことも悪いが、神の物を盗むことはもっと悪い。私たちに与えられたものはすべて神の物。それを自分の物と考えれば、「困っている人に施しをする」ことができない。旧約の律法より高いレベルの話しをしている。私たちはみな、聖霊の宿る神の宮であり、そこで仕える祭司であり、説教者であり、神の器である。要求される所が高い。
悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです(29-30節)。