ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
創造の神 No.15
1 hour 6 minutes Posted Jun 30, 2013 at 9:09 am.
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それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです(エペソ4:12−13)。
ここで、教会の目ざす目的として、二つの一致、即ち、「信仰の一致と神の御子に関する知識の一致」に達することが上げられている。教会がキリストのからだであって、彼の業を行うことが役目であるならば、その部分である私たちクリスチャンが、「神の御子に関する知識」を正しく持ち、その一致に達することが必要なことは当然。やや難しいのは、もう一つの、「信仰の一致」に達するほう。これはどうして必要なのだろうか。
一言で言えば、父なる神が教会を通してなさる業が、創造の業であるからである。創造は、信仰によってのみ起きる。そもそも、私たちの身に起きている救いの業は、私たちが心で「神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださった」と信じて、口で「イエスは主」と告白することによって始まった。そして、誰でもキリストにある者は、新しく造られた者である。言い換えれば、私たちの身に起きている創造の業は、信仰によって始まったのであり、私たちが信仰によって歩み続ける限り、その業は起き続ける。
このことは、アブラハムの生き方の中によく表されている。彼には子どもがなく、すでに年を取り、妻は不妊の女であった。神様は、そのような破壊の中にあった彼を選び、彼に信仰を与えて、彼の身に創造の業をなされた。死んだも同然であった、彼と彼の妻に子どもを与えて、その子孫を通して、イスラエルの国を造り、やがて全世界に救いの業をもたらすという計画であった。
このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした(ローマ4:17−18)。
信仰は、無いものを有るもののように呼んで、創造の業を生み出す。「望みえない」状態にあって、「望みを抱いて信じる」のが信仰。
アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。だからこそ、それが彼の義とみなされたのです(19-22節)。
彼は、自分の現実が「およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいること」であっても、「神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました」とある。それを信仰と呼ぶ。
創世記15章には、ロトと彼の家族を救ったアブラハムが、子どものない自分の境遇を嘆いている話しが載っている。神は彼に言われた。
アブラムよ。恐れるな。
わたしはあなたの盾である。
あなたの受ける報いは非常に大きい(創世記15:1)。
彼はこの時、信仰の戦いをしていた。言うなれば、自分の中にあった不信仰との格闘であった。神のことばが与えられても、それを受けて信じるかどうかは、私たちの側の問題。実は、アブラハムのこの格闘は、子どもを得るまでの25年間続く。それは、神からの訓練であった。それは、彼を通してイスラエルの民が起こされ、いずれは、その子孫からメシアが来て、異邦人も含めた全人類の上に創造の業が行われるためであった。これは、キリストのからだを建て上げるために要求される「信仰の一致」と同じである。アブラハムは、星を数えることによって、神の約束を現実として受け入れた。
彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた(6節)。
一人の人のからし種の信仰が、滅びに向かっていた全人類に創造の業が起きるための第一歩となった。ここからすべての創造の業が始まった。教会は、「信仰の一致」をもっと求めるべき。つまり、信仰とは何か、信仰はどのように働くのかなどについてもっと知る必要がある。まずは、口の告白の重要さを知ることがその第一歩。
人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、
そのくちびるによる収穫に満たされる。
死と生は舌に支配される。
どちらかを愛して、人はその実を食べる(箴言18:20−21)。