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あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました(エペソ2:1−2)。
エペソの手紙2章のことばは、その裏に、創世記2章の創造の話しが流れている。人が造られる前、世界はいのちのない世界であった。上の描写と、創世記2章の序の部分を比較してみると良い。
地には、まだ一本の野の灌木もなく、まだ一本の野の草も芽を出していなかった。それは、神である主が地上に雨を降らせず、土地を耕す人もいなかったからである。ただ、水が地から湧き出て、土地の全面を潤していた(創世記2:5−6)。
創世記では、人がちりから形造られ、それにいのちの息を吹き込まれて、生き物となったように、エペソ2章では、霊的に死んでいた人間たちが、神の愛によって新しい創造された。
しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、‐‐あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです‐‐(エペソ2:4-5)
神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった(創世記2:7)。
ちりから造られた人が、神によって備えられたエデンの園に置かれたように、キリストにあって新しく造られた者は、キリストとともに、天の所に置かれた。
キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました(エペソ2:6)。
神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた(創世記2:8)。
エデンには山があり、山の東にエデンの園があった。山からは川が流れ込み、園を潤していた。園では、人が、山からいつも降りて来られる神様と一つになり、園を守りながら、創造の業を行っていた。パウロは、キリストにあって新しく造られた者の目的を次のように結論している。
私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです(エペソ2:10)。
キリストにあってすばらしく造られた「神の作品」は、創造の業である「良い行い」をすることが、その務めである。それは、アダムに与えられた祭司の務めと同じ。
神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた(創世記2:15)。
エペソ2:11以降の話しは、カインとアベルの話しが裏に流れている。カインは異邦人の始まり、殺されたアベルの代わりに与えられたセツは、選びの民を意味する。異邦人と選びの民の違いは、契約によって決まる。この二つの人種が、両者ともにキリストにあって一つのからだとされた。罪によって来た破壊が、創造に変えられた。キリストのからだは、創世記で言えば、バベルの塔のこと。
このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、...両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。...それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです(エペソ2:15−19)。
「遠くにいたあなたがた」とは、神の住まれるエデンからどんどん東の方向へ移動して行って、そこに住むようになった異邦人のこと。そこで、彼らは、神の座に届く高い塔を、煉瓦を積み上げ、瀝青を使って建てようとした。ところが、神様は、キリストのからだをその部分である私たちを愛でつなぎ合わせて、建て上げるようにされた。
あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです(20-22節)。

