ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
創造の神 No.10 Sat@1
1 hour 6 minutes Posted Jun 8, 2013 at 9:09 am.
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キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい(ガラテヤ5:1)。
創造の業が自分の生活の中に起きるためには、律法の下にある生き方と、福音の下にある生き方の違いをよく知ることが鍵である。クリスチャンであっても、気が付かないうちに、律法に縛られて生きている人が本当に多い。律法の下に、奴隷のくびきを負って生きれば、破壊の業しか起きない。
パウロがガラテヤのクリスチャンたちにこの手紙を書いた当時、彼らはまさにその危険性の中にあった。彼らも、もとは異邦人であって、聖書の律法には関係がなく、神から離れ、神の契約の外で生きていた。それが、イエス・キリストの福音を通して、神に近づき、選びの民と同じ神の家族に入れられ、聖霊も受け、救いの喜びの中に生きるようになった。ところが、パウロがガラテヤを離れている間に、ユダヤ人のクリスチャンで「おもだった者」と見られる人たちがエルサレムから来て、ユダヤ人と同じように割礼を受け、聖書の律法に書かれている掟をまもり、その義務を果たさないことには、誰も救われて神の恩恵にあずかることはできないと教え始めた。彼らのことを「割礼派の人々」と呼んだ。ガラテヤのクリスチャンたちはみな、その教えを受け入れ、パウロの伝えた福音からそれて行ってしまった。このニュースを聞いたパウロは、大きな怒りをもってこの手紙を書いた。
よく聞いてください。このパウロがあなたがたに言います。もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがたにとって、何の益もないのです。割礼を受けるすべての人に、私は再びあかしします。その人は律法の全体を行う義務があります。律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです(2-4節)。
罪が入ってきてしまった後の世界において、人が、創造の初めから約束されていた祝福を受けて、すべての必要が満たされ、この地上で健康で生きようと願うならば、二つの方法がある。律法の下に自分を置き、罪を一度も犯さず、悪い告白もせず、聖書の律法を完全に守る方法と、キリストの福音を受け入れて罪の赦しを受ける方法の二つである。もし、キリストの福音を受け入れることが嫌ならば、イエス様のように罪を一度も犯さずに生きれば、律法に約束されているような祝福を得ることができる。律法も福音も、神の救いを人にもたらすためのものであったことは同じ。もし、古い契約である律法の下に自分を入れるならば、その「律法の全体を行う義務」がある。なぜなら、それが神との契約であるからだ。ただし、そこに約束されている祝福は、あなたがすべての律法を守り行うならば、という条件による。そこが問題。
私たちは、信仰により、御霊によって、義をいただく望みを熱心に抱いているのです。キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです(5-6節)。
だから、どんな所に、キリストの十字架と復活の必要性があったのか、よく知ることだ。確かに、キリストの死は罪を負って死ぬためであったが、それが、自分の今の生き方に実際どんな違いをもたらすものであったのかを明確に知ることができれば、この世に吹く風に惑わされて、無駄な苦しみに会わないで済む。あなたが無意識のうちに生きる生き方や、その態度や考え方が、大きな違いをもたらす。
あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたを妨げて、真理に従わなくさせたのですか。そのような勧めは、あなたがたを召してくださった方から出たものではありません。わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです(7−9節)。
200年前と同様、今日の教会においても、律法主義の風は吹いている。目につかない小さなパン種が、教会の中に入り込み、教会全体をパンの練り粉のように膨らませていることに、誰も気がついていない。その生き方や態度が、キリストにある神の豊かな恵みによる祝福を受けることができないようにしている。律法は縛り、福音は自由にする。
兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるのです。もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい(13-15節)。