ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
創造の神 No.11
1 hour 6 minutes Posted Jun 2, 2013 at 9:09 am.
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神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」...神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ(創世記1:26-28)。」
神は創造の初め、人を、全地を支配させるために造られた。支配するためには、その権威が必要。権威は、威張るために、また独裁的に支配するためのものではない。これは、神から与えられる霊的な権威。悪霊がイエス様を見て、ひれ伏し、恐れおののいて、自分を追い出さないでほしいと嘆願したのは、この権威のせいであった。その全く同じ権威が、今は、キリストにある私達に与えられている。
私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました(エペソ1:3)。
この「すべての霊的祝福」の中の一番大切なものが、霊的な権威である。この権威は、実は、天地創造の初めから人間たちに与えられていたのだが、私達が罪を犯した時、サタンに奪われてしまった。その時から、サタンが「この世を支配する者(ヨハネ12:31、14:30、16:11)」になった。しかし、人として来られたキリストは、その奪われてしまった権威をもう一度、その十字架の死と復活の勝利を通して奪い返し、それを弟子達に与え、父なる神の右の座に着かれた。
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました(20−21節)。
もしここで終わりならば、この真理は、今の私達とは何の関係もない。次の箇所が非常に重要。
また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです(22-23節)。
キリストが与えられたのは、「教会」に対してである。この世ではない。したがって、この権威を行使できるのは、キリストのからだである「教会」に属する者だけである。「神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ」。「足の下」とは、「からだ」の「足の下」のこと。からだが私達教会であるなら、いっさいのものが私達の下に置かれている。キリストの権威は、同時に私達の権威である。
現代の教会のほとんどが、この権威に対して、非常に無知である。自分たちのことを小さく考え過ぎだ。教会には、地においても、天においていっさいの権威が与えられている。人類を、天地創造の前から、そのような存在とするのが神の計画であって、たとえそれが罪によって一時期中断されたにしても、変わることも揺らぐこともなかった。キリストにあって再創造された人類は、罪と死が入る前の状態にもどされた。しかも、サタンはすでにさばかれた。これは、神の偉大なるあわれみによる。
しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、‐‐あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです−−キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした(2:4−7)。
ですから、この真理の上に立ち、信仰によって、教会に、また、その部分である私たち一人一人に神が備えて下さった、創造の業を行っていこう。
私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです(10節)。。