ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
創造の神 No.6 Sat@1
1 hour 6 minutes Posted May 11, 2013 at 9:09 am.
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「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです(2コリント4:6)。
創造の光が「私たちの心を照らし」という部分に注目。そこにこそ、神の創造の業が起きている。そして、その光とは、「キリストの御顔にある神の栄光を知る知識」のこと。多くの点で、現代人と共通した問題をかかえていたコリントの教会だが、この手紙には、プラグマティックな考え方を持つ、当時のコリントのクリスチャンたちに、心の内側にもっと目を向けさせるように促すことばがいくつも出てくる。
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです(4:18)。
確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます(5:7)。
ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました(5:16−17)。
最初に引用した4:6での「光が、闇の中から輝き出よ」ということばは、言うまでもなく、創世記1:3を背景にしたものだが(参考、イザヤ9:2、60:1−3)、その直接の引用ではなく、彼の解釈と適用が施されている。一番の相違点は、それを、世界創造のための光や、この地を照らす光のことではなく、人の内側の心を照らす、霊的な意味での光として解釈していること。言い換えれば、霊を持った人格者としての、人の存在の創造のことを指している。これは、実は、パウロ自身がダマスコへの途中で体験したこと。その時から、まさに、彼の心に光が輝き、彼の人生に創造の業が始まった。
その途中、正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです(使徒26:13)。
わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである(17-18節)。
これは特に、現代人にとって非常に大切な真理。さらにパウロは、その手紙で、次のように続けて述べている。
私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです(4:8−12)。
ここでの「私たち」は、パウロと彼に同行した弟子たちのことであって、最後の「あなたがた」で初めて、手紙を書いた相手の、コリントの信者達を指してくる。この時、この教会では、パウロに対する非難の声が色々あがっていたらしい。そのこともあって、パウロが「四方八方から苦しめられますが...途方にくれていますが...迫害されていますが...倒されますが...いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが...」と言っている。「あなたがたの目には、そのように見えるかもしれないが...」という意味。そして、事実、そのような中にあっても、彼は常に圧倒的な勝利者であった。創造と破壊は、いつも同時進行している。普通の目には破壊のように見えることも、私達キリストにある者にとっては、すべてが創造の業である。