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人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、
そのくちびるによる収穫に満たされる。
死と生は舌に支配される。
どちらかを愛して、人はその実を食べる(箴言18:20-21)。
天地は、神の「仰せられた」とおりに創造られた。この世界は、「神のことば」によって造られた。すべてのものは、「ことば」によって造られた。造られたもので、「ことば」によらずにできたものは一つもない。「ことば」は口によって発せられるもの。したがって、創造は、「神の口から出る一つ一つのことば」によって起きる。
この法則は、「神のかたち」である人間に、そのまま適用される。私達は、この世界を支配する目的のために造られた。支配は口でするもの。人がことばを語り、神のことばを理解できるものとして造られたのは、そのためであった。ことばは、実は、支配のためだけではなく、神ととともに創造の業を行うためでもある。上の箴言のみことばによれば、「死と生は舌に支配される」という。つまり、破壊と創造は、あなたの口の告白による。あなたが破壊のことばを口にするならば、破壊が起き、創造のことばを口にするならば、創造が起きる。
クリスチャンはみな、神を信じている。ひとり子の神がキリストとして、この地上に来られ、私達のために十字架にかかり、私達を死の支配から解放し、キリストによる支配の中に入れて下さった。破壊の世界から、創造の世界に移された。言い換えれば、キリストの支配の中にある者はみな、「新しく造られた者」であり、もはや、破壊が支配することはない。逆に、破壊の世界を支配し、そこに創造の業を行なっていくのが私達の役目である。そのために一番大切なのが、口の告白である。
信じることの大切さは、クリスチャンならば、みな知っている。そもそも、ひとり子の神を信じることによって神のこどもとされた。目に見えないものを信じることや、聖書のことばを神のことばとして信じることも結構上手であるが、口の告白となると、下手な人が多い。口の告白の悪さによって、創造の業よりも、破壊の業を自分の身にもたらしているのが普通。せっかく信じている神の創造のことばも、周りの不信仰な告白に合せた告白によって、創造のわざが起こらないままになっている。
まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります(マルコ11:23)。
注目して欲しいのは、「自分の言ったとおりになる」という部分。クリスチャンならば、みな、聖書のことばが神のことばであり、そこに書かれているとおりに実現することを信じている。でもここは、「ただ、聖書のことばのとおりになる」とは言っていない。「ただ、自分が信じているとおりになる」とも言っていない。ただ、自分の口で「言った」とおりに、しかも、「自分の」言ったとおりになるのであって、神の言ったとおりでもない。
神のことばは、あなたが心で信じるだけのものではなく、口で告白し、行なっていくものである。
まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。見よ。私は、確かにきょう、あなたの前にいのちと幸い、死とわざわいを置く(申命記30:14-15)。
頭で考えることには長けているが、口で言うことと、行なうことには苦手なのが、現代人の特徴。聖書のことばを聞いて、頭で同意するだけで満足していることが多い。だから、何も起きない。上の箴言のみことばによれば、「いのちと幸い、死とわざわい」の違いは、口の告白から来る。
善悪の知識の木から取って食べ、エデンの園から追放され、いのちの木へのアクセスを失った人間たちに、神様は再び、いのちの木への道を備えて下さった。
知恵は、これを堅く握る者にはいのちの木である。
これをつかんでいる者は幸いである(箴言3:18)。
これによれば、そのいのち木が「知恵(ホフマー)」であると言う。しかし、そのいのちの木を持っているだけでは、何の益にもならない。その実を取って食べる時初めて、それがいのちとして創造の業を起こす。それが「口の結ぶ実」のこと。聖書は凄いね!

