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これは天と地が創造されたときの経緯である。神である主が地と天を造られたとき、地には、まだ一本の野の灌木もなく、まだ一本の野の草も芽を出していなかった。それは、神である主が地上に雨を降らせず、土地を耕す人もいなかったからである。ただ、水が地から湧き出て(霧が地から上がって)、土地の全面を潤していた(創世記2:4−6)。
創世記の創造の話しには二つのタイプがあることを知ることは、聖書の創造の話しを理解するために、絶対に必要。タイプ1は一章の話し(正確には2:3まで)、タイプ2は2章の話し(正確には2:4以降)。二つは、全く異なったことをテーマとし、スタイルも違えば、強調する所も違う。一章は、混沌の状態から、闇と光を分け、水を分けることによって世界が造られる。2章の方では、水が地を潤すことによって、地が実り豊かな世界に造られていく。同じ水が、一章では、海水のことで、闇と混沌と破壊のシンボルであるが、2章では、淡水のことで、豊かさをもたら命のシンボルになっている。さらに異なるのは、人間の創造のされ方。一章は、人が「神のかたちとして」、全地を支配する王として造られるが、2章の方では、価値のない「ちり」から造られ、エデンの園を守り、神に仕えていくことが人の役目であるとする。
神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた(7-9節)。
「エデン」とは、贅沢の意味。神によって創造された、まだ罪のない世界が、どんなすばらしいものであったのかが表現されているが、その点は、一章の方でも同じ。
イザヤ書の次のような箇所は、タイプ2の創造の話がもとになっていることは、その表現の類似点を見れば、一目瞭然。
今、聞け、わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだイスラエルよ。
あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、
あなたを助ける主はこう仰せられる。
「恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。
わたしは潤いのない地に水を注ぎ、
かわいた地に豊かな流れを注ぎ、
わたしの霊をあなたのすえに、
わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。
彼らは、流れのほとりの柳の木のように、
青草の間に芽ばえる。
ある者は『私は主のもの』と言い、
ある者はヤコブの名を名のり、
ある者は手に『主のもの』としるして、
イスラエルの名を名のる(イザヤ44:1-5)。」
ここで注目すべき真理は、イスラエルという存在が、その国も民も、神の創造によるものであること。イスラエルも、自然的には世界の国々、また多くの民族の一つであることは変わりないが、それが神によって創造されたとは、ちょうど多くの人間がいても、キリストにあって生まれたあなたが神の創造であることと同じ。それがあなたの霊的な現実であり、この世界の現実より先に来るものである。自分も他の人と同じだと考えてしまえば、この真理はあなたには何の力ともならない。したがって、この真理をイスラエルの例からしっかりと学び、自分に適用していくと良い。
忘れてはならないのは、その創造は、まずは霊的なレベルで起きたことであること。もちろん、あなたは、その霊的な現実が、物質的なレベルでも現実化していくことを、これからもっと見ていくことになるが、新しく造られた者として、あなたは、これからどのようにこの地上で生きるべきだろうか。次のようなみことばがある。
ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。
のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。
さあ、金を払わないで、穀物を買い、
代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。
なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、
腹を満たさない物のために労するのか。
わたしに聞き従い、良い物を食べよ。
そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。
耳を傾け、わたしのところに出て来い。
聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。
わたしはあなたがたととこしえの契約、
ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ(

