ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
創造の神 No.3
1 hour 6 minutes Posted Apr 7, 2013 at 9:09 am.
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だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。
イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。
「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの(イザヤ43:1)」。
最初の「あなたを造り出した方」の「造り出す」は、bara’という動詞で、次の、「あなたを形造った方」の「形造る」は、yatsarという動詞。実は、創世記の創造の話しには、第1章のタイプ1と、第2章のタイプ2の、二つの違った話しがあるが、タイプ1はbara’、タイプ2の方はyatsarという動詞で代表される。それぞれ、強調される点が異なり、創造に関して二つの違った伝統があったことが分る。
最初のbara’の動詞の大切なニュアンスは、「分ける」ことによって何かを造り出すこと。創世記1章の創造のことを指す。この種類の創造の場合、二つの相対立するものが目的語になっているのが特徴。
初めに、神が天と地を創造した(1節)。
神は人をご自身のかたちとして創造された。
神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された(27節)。
したがって、bara’は、「分ける」意味が特徴。光が闇に対立して造られたのも、この種類の創造。決して、無から有を生ずる創造のことではない。それに対して、タイプ2の方は、yatsarで代表される。これは、もともと、陶器師が泥から陶器を手で造る意味の動詞。
神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった(2:7)。
この場合の大事な霊的ニュアンスは、死んだ状態にあるものにいのちを吹き込んで、生き返らせること。したがって、神様がイスラエルの民をbara’したとは、多くの民から取り分けて聖別し、契約を結び、自分の民としたことを指すが、yatsarしたとは、エジプトで奴隷となって死んでいた民の中に、神の霊を吹き込んで、彼らを生きる者とされたことを指す。上のイザヤ43章の箇所の歴史的背景は、言うまでもなく、バビロン捕囚からの帰還と、神殿やエルサレムの再建。
この同じ種類の創造の業が、あなた個人の人生に起きた。また、今も起きつつある。エデンを追い出された人間は、いのちの木への道が閉ざされた。罪の結果である。その時、死が人の世界に入り、人は土に帰るようになった。破棄のわざだ。それは、人がエデンの園から追放され、いのちの木への道を失うことによって成就された。しかし、神様は再び、このいのちの木を、キリストを通して私達に与えて下さった。箴言に次のようなことばがある。
知恵は、これを堅く握る者にはいのちの木である。
これをつかんでいる者は幸いである(箴言3:18)。
「知恵」とは、真理のことで、神のことばのこと。ことばと言えば、キリストがことばなるお方。また聖書が、「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです(コロサイ2:3)」というとおりである。イエス様はある時、腹を満たすパンを求めてご自分に付いて来た人々に、次のように言われた。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです(ヨハネ6:26−27)。
続けて、次のように言われた。
しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です(50-51節)。
これが、今日私達が受ける主の聖餐の意味。失ってしまったいのちの木への道の回復であり、神の創造のわざである。これはどういう意味かと考えていた弟子達に向かって、彼はこう言われた。
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです(63節)。