ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
創造の生き方(復活祭)
1 hour 6 minutes Posted Mar 31, 2013 at 9:09 am.
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このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい(ローマ6:11)。
この「思いなさい」という日本語訳は、間違っているわけではないが、今日、日本人は「思う」という動詞をいろんな場合に使うので、この訳では、意味が曖昧で、弱過ぎる。ギリシャ語logizomaiの文字通りの意味は、「数える」という意味。実は、パウロはすでに、ローマ書の4章で、アブラハムの信仰のことに触れて、次のように述べている。
彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした(4:18)。
この「あなたの子孫はこのようになる」ということばは、創世記15章で、アブラハムが天の星を数えるように命じられた時、神様から与えられた約束のことばだ。彼はこのことばを信じて、それが彼の義とされた。空の星の世界は、当時、この地上でやがて起ころうとしている出来事を映し出していると考えられていたので、アブラハムの子孫が空の星の数のようになることを信じたとは、まだこの世界では目に見ていない、霊の世界の現実を受け入れたことを意味する。それを信仰と呼ぶ。この頭で、上のローマ6:11のことばをもう一度読むと良い。
このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、数えなさい(ローマ6:11)。
この意味での「数える」とは、結局、「信じる」ことと同じ。そして、何を数えるかと言えば、「自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だ」ということ。それは、死という破壊に向かう道を歩むのではなく、その反対方向の、神の創造という新しい道を歩むことを指している。言うまでもなく、これは霊の世界の現実で話しているのであって、地上のどこかに、目に見える形でそのような道が存在するわけではない。したがって、自分が新しい創造の歩みをする者であるということを、アブラハムが星を数えたように、「数えなさい」という言い方になる。
この世界は破壊に向かって動いている。すべてのものが破壊され、火に燃やされる時が来る。その中において、私たちキリストにある者は、創造に向かって進んでいる。全くの逆方向に歩んでいることになる。したがって、私たちにはこの世界において戦いがある。でも、それは圧倒的な勝利の戦い。実は、その道を敷くために、イエス・キリストがこの地上に来られ、十字架にかかり、地獄にまで下られ、復活され、天に上られて、今は父なる神の右の座に座しておられる。
こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです(コロサイ3:1−3)。
ここでの「思いなさい」とは、そこへ心を向けて歩みなさいという意味。「地上のもの」とは破壊のこと、「天にあるもの」とは、神の創造のこと。キリストとともに生きている者には、それにふさわしい生き方がある。破壊とは、昔の古い生き方のこと、私たちは、もうすでに古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着た。
互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。(コロサイ
この新しい人は、私たちの内の人のことで、霊の世界から自分を見ないと分らない。そこにいのちの泉がある。古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなった。したがって、昔のことを思い出し、罪責感に陥ったり、「こうすれば良かった」と後悔の念に駆られないこと。そこには破壊しかない。
先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。
よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている(イザヤ43:18−19)