ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
創造の神 No.1 Sat@1
1 hour 6 minutes Posted Mar 30, 2013 at 9:09 am.
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紀元前598年12月、ユダはバビロニアのネブカデネザル王の攻撃を受け、その時ユダの王であったエホヤキムは死に、彼の18才の息子、エホヤキンが王となる。エルサレムは3ヶ月の間包囲されるが、エホヤキンがバビロンの王に降伏することによって、町は破壊を免れた。ネブカデネザルの治世の第8年であった(紀元前597年の春)。
彼は主の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出し、イスラエルの王ソロモンが造った主の本堂の中のすべての金の用具を断ち切った。主の告げられたとおりであった。彼はエルサレムのすべて、つまり、すべての高官、すべての有力者一万人、それに職人や、鍛冶屋もみな、捕囚として捕らえ移した。貧しい民衆のほかは残されなかった(2列王24:13-14)。
その時、多くの有力者や知識人たちが、エホヤキンとともに捕囚に連れられて行くが、その中に、祭司、そして、後ほど預言者として召されたエゼキエルがいた。
第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで、捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。それはエホヤキン王が捕囚となって連れて行かれてから五年目であった。その月の五日に、カルデヤ人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルにはっきりと主のことばがあり、主の御手が彼の上にあった(エゼキエル1:1−3)。
このようにして始まるエゼキエル書だが、非常にミステリーに満ちた書物だ。カルデヤ人の地のケバル川とは、おそらく、バビロンの東を流れる運河のこと。エゼキエルが捕囚に連れられて行ってから12年目(紀元前586年12月か、587年1月)に、ついにエルサレムの滅亡のニュースが彼に届く。
私たちが捕囚となって十二年目の第十の月の五日、エルサレムからのがれた者が、私のもとに来て、「町は占領された」と言った。そののがれた者が来る前の夕方、主の御手が私の上にあり、朝になって彼が私のもとに来る前に、私の口は開かれた。こうして、私の口は開かれ、もう私は黙っていなかった(33:21)。
その後のことである。エゼキエルは次のような体験をした。
主の御手が私の上にあり、主の霊によって、私は連れ出され、谷間の真ん中に置かれた。そこには骨が満ちていた。主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。なんと、その谷間には非常に多くの骨があり、ひどく干からびていた(37:1−2)。
彼がその「谷間」で見たものは、創造の反対。破壊と死の状態。まさにエルサレム、イスラエルの国とその民はこの状態に戻されてしまった。彼らの神への反逆と罪の結果である。さあ、これからどうなるのか。このまま破壊された状態が永遠に続くのか。神様はまさに、エゼキエルの信仰を見ようと、その質問を彼にした。
主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」 私は答えた。「神、主よ。あなたがご存じです。」 主は私に仰せられた。「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主のことばを聞け。 神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが主であることを知ろう(3-6節)。」
これが、神の創造の業の典型。破壊されたものをもう一度、もとの状態に戻すこと。言うなれば、再創造だ。これは、創世記2章の話しと関係が深い。以下のみことばと比較してみると良い。
神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった(創世記2:7)。
ちりから造られた人が、死によってちりに戻された。しかし、そこから再び、いのちの息を吹き込まれて、新しく創造されるのである。これは、私たちがキリストにあって体験している創造と同じ。
わたしがまた、わたしの霊をあなたがたのうちに入れると、あなたがたは生き返る。わたしは、あなたがたをあなたがたの地に住みつかせる。このとき、あなたがたは、主であるわたしがこれを語り、これを成し遂げたことを知ろう。−−主の御告げ−−(14節)。