ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
イエスの死とサタンと神の創造(グッドフライデー特別礼拝)
1 hour 6 minutes Posted Mar 29, 2013 at 9:09 am.
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そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした(ヘブル2:14-15)。
ここで言う「死の力」とは、創造の反対の破壊の力のことで、その破壊の主がサタンである。人間がサタンに騙された時から、この世界は破壊に向かって進んでいる。人間が神との契約を破り、罪を犯した以上、サタンは自分の業である破壊を、合法的に世界にもたらすことができるようになってしまった。罪人が滅びに至ることは、神の律法にかなったことであり、サタンはその仕事を堂々としているかたちになる。人間たちはそのサタンの奴隷のごとく、行き着く所が死であることを知りながら、何も対抗することができず、恐怖の中を生きるようになった。
人がそのような存在になったのは、聖書によれば、彼が蛇に騙されて善悪の知識の木から取って食べてしまった時からである。
神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく(創世記3:14−15)。」
「蛇」とは、言うまでもなくサタンのこと。「女の子孫」とは、今の私たちも含めた人間たち。注目して欲しいのは、「おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く」ということば。「敵意」とは、敵対関係のことで、この時から、人間とサタンとの絶え間ない戦いが始まったことを示す。サタンが騙したのは人間であり、騙されたのは人間である。したがって、大事なことは、戦いは人間とサタンとの間におけるもので、神とサタンとの間のものではない。
だから、もし、誰かがこの戦いに勝利し、人間たちを破壊の業から解放するとすれば、その人は、私たちと同じ人間でなくてはならない。「敵意」は、神とサタンとの間にあるのではなく、人間とサタンの間にある。創造主の神と、被造物のサタンとは戦いにはならない。サタンに負けたのは人間であり、勝利しなくてはならないのも人間である。最初のみことばをよく読んでみると良い。
そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした(ヘブル2:14-15)。
それがイエス・キリストであった。彼は、アダムの子孫として、私たちと同じように、人としてお生まれになった。しかし、彼にはサタンが責めることのできるような罪が何一つ見当たらなかった。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました(1ペテロ2:22−23)。
罪とは、行動で犯す罪だけではなく、口で犯す罪もある。心配や不信仰のことばを語ることは大きな罪である。イエス様にはその罪もなかった。罪人に破壊の業を行なうことは、サタンにも許されているが、罪のない者に手を出し、滅ぼすことは許されていない。だから、サタンがそれをした時、何が起きたのか、よく考えてみると良い。
偽りの告訴から遠ざからなければならない。罪のない者、正しい者を殺してはならない。わたしは悪者を正しいと宣告することはないからである(出エジプト23:7)
また、ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから(マタイ27:19)。」