ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
喜びと感謝の力 No.12
1 hour 6 minutes Posted Jan 27, 2013 at 9:09 am.
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あなたがクリスチャンとして多くの実の結び、祝福と勝利に満ちた人生を歩むための鍵は、あなたが神の臨在の中に毎瞬間生活することにある。それが分っていなければ、この学びにも意味がない。イエス様は、「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです」と言われた。そして、喜びと感謝のない所には、彼の存在はない。いや、正しくは、彼の存在はどこにでもあるが、それを現実とするあなたの信仰がなければ、あなたにとって彼がおられないのと同じ。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです(1テサロニケ5:16-18)。
最後の「これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」ということばに注目。あなたとともにいたいと願っておられるのは、誰よりも神様ご自身である。したがって、喜ぶ、祈る、感謝の三つのステップが、どうしてそんなに鍵になるのか、そのメカニズムを知ることが大きな鍵である。今回は、詩篇100篇に続き、詩篇95篇を見ていく。
さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。
感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう(詩篇65:1−2)。
「喜び歌おう」、「喜び叫ぼう」、「感謝の歌をもって」、そして、「御前に進み行き」という表現に注目。神様の御前に出るために必要なのが、喜びと感謝。
喜びと感謝の反対が、陰気さ、暗さ、つぶやき、不信仰、人をさばく心など。喜びと感謝のない所に、いかに神様の臨在がないかを知るのも一つの鍵になる。
きょう、もし御声を聞くなら、メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。あのとき、あなたがたの先祖たちはすでにわたしのわざを見ておりながら、わたしを試み、わたしをためした(7-9節)。
「メリバのときのように、荒野のマサでの日のように」と書いてあるのは、何のことを言っているのか。知らなければ、聖書を読んで調べること。この話しを知っている人も、もう一度読んで、最後の「わたしを試み、わたしをためした」と言っているのはどういう意味か、神様の側に立って瞑想してみると良い。ほとんどのクリスチャンがその意味を知らないでいる。それがゆえに、不信仰とつぶやきの中で、悲劇のヒーローを演じている。勝利も祝福もなく、陰気だ。彼らはみな、自分が主を試み、ためしていることを知らないでいる。その結果は次のようになると言っている。
わたしは四十年の間、その世代の者たちを忌みきらい、そして言った。「彼らは、心の迷っている民だ。彼らは、わたしの道を知ってはいない」と。それゆえ、わたしは怒って誓った。「確かに彼らは、わたしの安息に、入れない」と(10-11節)。
私が牧師として様々な信者さんたちを相手にして発見したことの一つに、人は同じ事実を見たり聞いたりしていても、その見方や聞き方が随分違うということ。そして、その見方や聞き方の違いが、その人の人生を大きく変えていくという真理。普通からすれば何も問題ではない小さなことを、絶望的な凄い問題のように考えて悩む人もいれば、普通凄い大きな問題と思われることも、それを問題ともせずに喜んで生きている人もいる。何を喜びとし、何を悲しみとするかは、人によって随分異なる。それは、一人一人の見方の違いから来る。イエス様の次のようなことばを思い出す。
またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです(ヨハネ9:1−3)」。