ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
喜びと感謝の力 No.10
1 hour 6 minutes Posted Jan 13, 2013 at 9:09 am.
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すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです(ヨハネ4:36)。
最後の「ともに喜ぶためです」ということばに注目。天からの喜びは、互いに分ち合い、ともに喜ぶもの。誰と誰がともに喜ぶのかというと、「蒔く者と刈る者が」である。「蒔く者」とは、今までに神のことばをこの地上に蒔いてくれた旧約聖書の預言者たち、そして、ご自分を一粒の麦として蒔いて下さったイエス様、さらに自分の命を捨てて彼に従ってくれた使徒たちである。そして、「刈る者」とは、今の私たちである。当然のことながら、この種類の喜びは、神の働き人として出て行き、実際に「刈る者」としての働きをする者にだけ与えられる、特別な喜びである。
しかし、誤解してはいけないのは、神の働き人といっても、宣教師や牧師や、特別な賜物の与えられた働き人のことだけを言っているのではない。聖書は、すべてのクリスチャンに、自分の身を神に捧げて、働き人になるように勧めている。私たちはみな、今いる場所に、会社に、学校に、家庭に、天からイエス様によって遣わされた者である。もし、あなたの教会やクリスチャンの集まりに喜びがないとするならば、この「ともに喜ぶ」喜びがないからである。なぜ「ともに喜ぶ」喜びがないかと言えば、クリスチャンたちが刈る者としての働きをしていないからである。なぜ刈る者としての働きをしていないかと言えば、自分のこと、自分の生活のことを考えて、出て行こうとしないからである。
イエス様が十字架に付けられるためにエルサレムに向かっておられる時、ひとりの律法学者が来て言った。
先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります(マタイ8:19)。
いかにも働き人の格好をして、口ではりっぱなことを言うが、いざ付いていく時になると、足を引っ込め、付いていかない。イエス様の答えは:
狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません(20節)。
ある人には、イエス様の方からその人に「ついて来なさい」と言われたが、返ってくる答えは:
まず行って、私の父を葬ることを許して下さい(ルカ9:59)。
また、ある人は、自ら従っていくことを決断しても、「いつかは、そうしよう」と考えているだけで、自分の生活、自分の家族を先にして、実際には従わないで終る。
主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください(61節)。
これらの人々はみな、「ともに喜ぶ」喜びにあずかることのできなかった人々。クリスチャンであっても、本当のキリストの弟子ではない。不完全燃焼のまま生きていく。もちろん、神様は、すべての神の子ども達が最高の祝福を受けられるように導かれることに変わりはない。しかし、私たちがこの地上で受けるどんな祝福も、イエス様の言われる「蒔く者と刈る者がともに喜ぶ」喜びに比べることはできない。
それからイエスは、弟子たちのほうに向いて、ひそかに言われた。「あなたがたの見ていることを見る目は幸いです。あなたがたに言いますが、多くの預言者や王たちがあなたがたの見ていることを見たいと願ったのに、見られなかったのです。また、あなたがたの聞いていることを聞きたいと願ったのに、聞けなかったのです(23-24節)。」