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何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい(ピリピ4:6)。
祈りには、いろんな種類の祈りがある。罪の告白と赦しの祈り、奥まった部屋での祈りと代表の祈り、自分の必要や問題のための祈りと他人のためのとりなしの祈り、また、王や高い地位にある人々のための祈りに、神の働き人のための祈り、たましいの祈りもあれば、霊が祈る祈りもあるし、深いうめきによる祈りもある。同じように、感謝にもいろんな感謝がある。でも、聖書の言う感謝に関して一番大切なことは、この感謝は、神への感謝であること。上のみことばでは、「感謝をもってささげる祈りと願いによって」と言っているが、どういう意味だろうか。
私たちが神様に感謝する感謝の一番一般的なものは、神様が自分にして下さった良き業を感謝する感謝である。その良き業をはっきりと認識している人は、よく感謝するが、たとえ良き業を受けていても、それをはっきりと認識していない人は、感謝することが難しい。人間の世界においても、自分に沢山のことをしてもらっておきながら感謝しない人が時々いる。また一方では、自分にしてもらったことがうれしくて、何年も経った今でも、そのことを感謝する人もいる。
「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」
主に贖われた者はこのように言え。
主は彼らを敵の手から贖い、 彼らを国々から、東から、西から、北から、南から、集められた(詩篇107:1−3)。
当然のことながら、神への感謝ができるのは、「主に贖われた者」。主が自分に良くして下さったことを覚えている者だけが感謝できる。そういう人は、神が良い方、「いつくしみ深い」方であることを知っている。
ところが、感謝には、まだ起きていない将来のことに関して感謝する感謝もある。まだ、感謝すべき良きことをしてもらっていない時に、すでに感謝する感謝のこと。これを、そんなに不思議なものと思う必要はない。あなたが誰かに何かをしてもらいたいとして、それを自分の信頼できる人に頼んだとする。すると、その人は、あなたの必要、またあなたの置かれた状況をよく理解してくれて、それをしてくれると約束してくれた。その時、あなたはその人に感謝しないだろうか。まだそれをしてもらう前に、約束だけの時点で、その人にすでに感謝するはず。ましてや、あなたを愛し、「求めなさい。そうすれば与えられます」と約束された忠実な方に感謝するのは、当たり前。これが、「感謝をもってささげる祈りと願い」のこと。その時には、神様に嘆願する必要はない。ただ「あなたがたの願いことを知っていただく」だけである。
イエス様のことばを聞こうと、人里離れた所へついて来てしまった男5千人を前に、そこには、五つのパンと二匹の魚しかなかった。
そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた(ヨハネ6:11)。
死んでしまったラザロが葬られて、もうすでに四日が経過した。その墓の前に立たれたイエス様は、目を上げて、次のように祈られた。
父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました(11:41−42)。

