ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
喜びと感謝の力 No.3
1 hour 6 minutes Posted Nov 3, 2012 at 9:09 am.
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イエスは、彼らが質問したがっていることを知って、彼らに言われた。「『しばらくするとあなたがたは、わたしを見なくなる。しかし、またしばらくするとわたしを見る』とわたしが言ったことについて、互いに論じ合っているのですか。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります(ヨハネ16:19−20)。
これは、イエス様が十字架で死なれる前の晩に弟子たちに語られたことば。「わたしを見る」と、「悲しみは喜びに変わります」の部分に注目。そして彼は、さらに言われた。
あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません(22節)。
クリスチャンは、イエス様から目をそらして、自分や環境を見始める時に、喜びを失い、霊的に落ちていく。ゲッセマネの祈りの後、イエス様を離れた弟子たちも一時的であったが、イエス様を見失った。その時の彼らの状態をよく観察すると良い。ペテロも、イエス様を離れた瞬間から、サタンの罠に落ちていった。喜びを失い、ただの人として行動をした。
すると、門番のはしためがペテロに、「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」と言った。ペテロは、「そんな者ではない」と言った。寒かったので、しもべたちや役人たちは、炭火をおこし、そこに立って暖まっていた。ペテロも彼らといっしょに、立って暖まっていた。
「そんな者ではない」と言ったことばの中に、それがよく表れている。その時、彼の眼中にあったのは、イエス様ではなく、自分自身であった。
復活の朝、イエス様を見る前の弟子たちはどうであったか。イエス様を見失った彼らは、ペテロ同様、あの晩、主を置いて逃げてしまった自分を眺めて、絶望のどん底にいた。そして、その時...
その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ(ヨハネ20:19−20)。
私たちの喜びの源泉は、イエス様にある。失敗をした自分から、イエス様に目を向けることだ。そのためにこそ、彼は十字架にかかり、三日目に甦って下さった。自分を見始める時に、再び昔の暗闇に襲われる。サタンに騙されてはいけない。彼はもはや、何もできない存在である。イエス様の復活がそれを一番よく表している。
わたしは、もう、あなたがたに多くは話すまい。この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることはできません(ヨハネ14:30)。
燃える炉に投げ込まれた、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの話しも良い。それに次のような詩篇のことばもある。
彼らが、あなたに対して悪を企て、たくらみを設けたとしても、彼らには、できません(詩篇21:11)。
サタンは「できない」者である