ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
聞く耳の育て方 No.18
1 hour 6 minutes Posted Sep 22, 2012 at 9:09 am.
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なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。また、私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています(1テサロニケ
「力と聖霊と強い確信」という表現に注目。特に、「強い確信」ということは、自分の語る福音が真理であると強く信じていることを指す。強く信じるためには、それが真理であることをよく理解することが必要。そして、理解するとは、聖書のことばを理解することを言っているので、その聞き方、学び方が悪いと、それが理解できず、強い確信をもつことができない。確信がなければ、せっかく聞いたみことばも、力をもって実際の生活に働くことがない。
多くのクリスチャンが、聖書を自分と関係のないレベルで読む。聖書を読むには、簡単に言うと、二つのステップが必要。それは、観察と適用。観察は、ちょうど、科学者がこの物質の世界をよく観察し、そこに自然の法則を発見することと同じ。その同じテクニックを使う。よく目を開いて書いてあることを一字一句読んでいく。その時には、自分の考えや感情、また本能的な感覚に支配されないことがコツ。感覚によれば、リンゴがその木から、誰の手にもよらず下に落ちるのを見ても、何も不思議には思わない。しかし、物は何かの力を加えないことには、動くことはない。したがって、それが落ちるということは、何かの力がそれに働いて、物が下の方向に動く。では、それを下に引っ張る力はどこから来るのか。そこから、理性的に、万有引力の法則が発見された。その同じ理性が、神の霊の助けによって聖書の真理を発見させる。
真理は、どの時代にも、どの民族のどんな人間にも当てはまるもの。万有引力は、地球上のどこでも、宇宙のどこでも働く、神様の定められた自然の法則。聖書は、ヘブル人の文化、また、ギリシャ人の文化を通して書かれた。しかも、実際に、ある時代に生きた、ある人々の持った様々な問題や必要に対して、神様がことばを語られた。しかし、それが、時代を越え、また民族の違いを越え、すべての時代のすべての人間に適用される真理のことばでもあった。そこが、神の霊感によって書かれて聖書が、他の書物と違う点。そうでなければ、その真理は、当時のユダヤ人なり、あるいはギリシャの町の人々なりに適用されるだけで、今の私たちには何の関係もないものになってしまう。
聖書の世界における、当時の人々の文化の違い、使われた言語の違い、また世界観や価値観の違いなどを頭に置き、その殻を一枚ずつ取り除いていくと、その内側には、変わることのない永遠の真理が、光をもって輝いているのが見えてくる。それは驚きであり、いつも新しい感動を与えてくれる。この時点で、自分への適用が始まる。それで初めて、みことばが力をもってあなたの生活に働き始める。聖書は、「あなた」について書かれた書物である。
したがって、単に聖書のことばを知識として学んでいる状態で、みことばを学びさえすれば、それが自動的に働くと考えてはならない。それは、聖書があなたの霊的な現実を語ったものだからである。その霊的現実は、確かに、万有引力が物質的なレベルにおいて全宇宙で働いているように、霊的なレベルですでに現実となっている。しかし、あなたの狙いは、それが物質のレベルでも力をもって働くことである。健康で、すべての必要が満たされ、明るい家庭をもって、喜びと平安をもって幸せに暮らすことであり、神に用いられ、生きている目的を達成し、意味のある人生を歩むことである。そのためには、その霊的現実を、自分のものとして、理性的に、意識的に「数える」必要がある。これもまた、聖書が教える真理である。
それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです(ローマ
ここで言う「バプテスマ」は、実際に教会でするバプテスマのことではない。霊の世界において起きたバプテスマのこと。イエス様を受け入れた者であるなら、まだ洗礼を受ける以前でも、すべての信者に当てはまる。二千年前に生きた、ローマのクリスチャンたちだけに当てはまるのではない。これを適用と言う。しかも、それが、今の「あなた」という存在に当てはまる。二千年前、イエス様が十字架に架かられた時、あなたも彼といっしょに十字架に架けられて、彼といっしょに死に、葬られ、そして、甦った。これは、この物質の世界の現実として考えるなら、不可能で、愚かであるが、信じる者には、それが霊の現実であり、神の力である。
このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい(ローマ
「思いなさい」とは、「数えなさい」の意味。数えるとは、理性的なもの。万有引力の法則を発見した後は、それを適用して数えてみると、太陽と地球の動きもうまく説明できて、その位置を正しく予測できる。実は、神様がアブラハムに星を数えさせたのも、その同じ目的であった。