ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
聞く耳の育て方 No.17
1 hour 6 minutes Posted Sep 8, 2012 at 9:09 am.
0:00
1:06:32
Download MP3
Show notes
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネ14:26)
これは有名なみことばで、誰もが知っている。聖霊がクリスチャンたちのみことばの悟りを助けて下さる。でも、その真理を本当に体験的に知っている人は、そんなに多くはない。あなたがその真理を知っていようと知っていまいと、これが真理であることは変わりなく、聖霊様は、みことばを学ぼうとしているあなたをいつも助けていて下さる。ただ、あなたがこのみことばの上に立ち、信仰をもって、もっと意識的に進んで真理を探ろうとするならば、聖霊様はもっとあなたを助けることがおできになる。
まずは、聖霊の助けがあるのとないとの違いを知ると良い。ヨハネの福音書は、聖霊がまだ与えられていない時代に生きた人々の霊的な渇きを多く描写している。例えば、その代表的なのが、サマリヤの井戸端でイエス様に出会った女の話し。
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます(ヨハネ4:13−14)。」
この女は、自分の心の渇きが、霊的なものであることを知らなかった。霊的な渇きは、霊的に満たされるしかない。彼女は、まさに、エレミヤの表現で言えば、「湧き水の泉である」方を捨てて、自分のために「水のためることのできない、こわれた水ため」をいつも掘って、そこから飲もうとしていた(エレミヤ2:12−13)。
他にも、仮庵の祭りの際にエルサレムに行かれた(でも、行かれなかった)イエス様の話しがある。ここでは、キリストに関するユダヤ人たちの理解のなさが浮き彫りにされている。彼らには、イエス様の語られることばが分らず、彼が誰であるのかが理解できなかった。そして、次のみことばだ。
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる(7:37-38)。」
またある時、ユダヤ人と議論の中で、イエス様は次のように言われた。
わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っています。しかしあなたがたはわたしを殺そうとしています。わたしのことばが、あなたがたのうちに入っていないからです(8:37)。
なるほど、彼らにイエス様のことばが理解できなかったのは、ここに原因があった。みことばが彼らの心の中に入って行かなかったからだ。
エレミヤに次のような預言のことばがある。
見よ。その日が来る。−−主の御告げ−−その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。...彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。−−主の御告げ−−わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる(エレミヤ31:31−34)。
ご存知のように、これはキリストを通して結ばれる新しい契約のことを指している。今は、これがもうすでに成就した。みことばが私たちの心の中に入るようになった。それを助けて下さるのが聖霊様。
ルカ24章には、イエス様が、復活後、エマオに行く途中の二人の弟子にお現われになって、ご自分の死と復活のことについて彼らに教えられた話しが載っている。その様子をよく読み直すと良い。みことばを理解するコツが見えてくる。
するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた(ルカ24:25-27)。