ダヴァール神の国
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Davar Kingdom of God
聞く耳の育て方 No.7
1 hour 6 minutes Posted Jun 16, 2012 at 9:09 am.
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聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで(自分で量る量りで)、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます(マルコ4:24−25)。
これが新改訳聖書の訳で、この中に、「人に」ということばがあるが、本当はギリシャ語の聖書にはないのに、書き加えてある。もちろんこれは、分り易くしようと、訳した人が書き加えたもの。しかしそれが、反って、この意味を分りにくくしてしまっている。ここの場合は、他の「人」に量る量りのことではなく、あなた自身の中での、みことばを理解する量りのことを言っているからである。
このことわざは、当時よく使われていたものであったようで、福音書には、この他にも、2回、イエス様がこのことわざを使っておられる。ルカ6:38では、他人に与えて、良くするかしないかという量り。マタイ7:2では、他人をさばくか、さばかないかという量りのことを指して使われている。つまり、ルカとマタイの場合では、このことわざが、人が他人に対して持つ態度の意味で使われている。あなたが他人にする通りに、神様があなたにされる。ところが、マルコでは、そのような他人との関係のことを言っているのではないので、同じ意味をそこに見ようとすると、言っていることがさっぱり分らない。そこで、上のみことばを、素直にそのまま訳すと、次のようになる。
聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、自分で量る量りで、自分に量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます(マルコ4:24−25)。
実は、この先、少し進んで行くと、次のようなことばが出てくるが、それが、この意味を理解するための大きな鍵となる。よく瞑想すると良い。
イエスは、このように多くのたとえで、彼らの聞く力に応じて、みことばを話された(33節)。
まさしく、この「彼らの聞く力」というのが、先程の「自分で量る量り」のこと。当時の量りは、天秤形式の量りであって、それで物の料を量って、売ったり買ったりしていた。天秤の皿の一つに、重さの分った重りを載せ、それと同じ重さの物をもらうことになる。この「聞く力」を多く持つものは、その重さにしたがって、それに相当する分の賜物や祝福を頂くことができる。いや、「さらにその上に増し加えられます」ということだ。
どんな内容の事柄でも、その内容を理解しないで、丸暗記しても、それが頭に残ることは難しい。それは、電話帳を片っ端から暗記するようなもの。みことばも同じ。聞いたみことばの意味を理解しなければ、あなたの中にとどまることはなく、すぐに忘れられてしまう。忘れたみことばは、あなたの益になることはない。聞いたみことばがあなたにとって益となるように願うならば、それをあなたの中にとどまらせる必要がある。とどまらせるためには、その意味をあなたが理解して自分のものにすることだ。つまり、聞く耳を持つことだ。
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます(ヨハネ15:7)。
みことばがあなたにとどまることは、あなたがキリストにとどまることと同じ。キリストはぶどうの木で、あなたが枝。枝は実を結ぶことを目的とする。枝であるあなたがキリストにとどまり、みことばがあなたにとどまらなくては、あなたは実を結ぶことはない。
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです(ヨハネ15:5)。
そして、みことばがあなたの中にいつまでもとどまるためには、その意味をあなたがよく理解し、そのみことばを自分のものにすることが絶対に必要。それを可能にするのが、あなたの持つ聞く耳であり、みことばの理解度の量りである。神からの賜物は、それに従って与えられる。それだけではなくて、その理解度の量りを少ししか持たない人は、せっかく与えられていた賜物も失ってしまうということだ。
持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます(マルコ4:25)。