ダヴァール神の国
ダヴァール神の国
Davar Kingdom of God
聞く耳の育て方 No.5
1 hour 6 minutes Posted Jun 2, 2012 at 9:09 am.
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さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか(マタイ16:13)。」
これは、イエス様のミニストリーが始まってから二年以上過ぎた時の出来事。イエス様は、これから一年も立たないうちに、十字架にかかり死んで行かれた。したがって、弟子たちはすでに、もうかなり長い間イエス様に従い、彼を通して行なわれる多くの奇蹟、また、沢山の教えのことばを聞いていた。
彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています(14節)。」
「彼らは言った」という表現から、一人、二人の弟子だけではなく、みんなで活発に言い合ったことが分る。いろんな説があげられたが、主なものは全部で四つ:バプテスマのヨハネ、エリヤ、エレミヤ、(誰か分らないが)預言者の一人。弟子たちが盛んに話している間、イエス様はどうしておられたのだろう。そのうちに、今度は二つ目の質問をされた。
あなたがたは、わたしをだれだと言いますか(15節)。
最初の質問と、この質問との違いは何か。最初の質問は、「人々は、、、」であるのが、今度は、「あなたがたは、、、」。二回目の質問は、弟子たちの一人一人が個人的にどのように信じているかを直接聞いている。この質問に、彼らは急にシーンとなった。そんな時、誰よりも率先して話すのがペテロ。
シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです(16節)。」
答えたのはペテロだけ。彼は、「わたしは...と思います」とか、「...と考えます」とは言わなかったことに注目。この違いが分るだろか。彼の告白は、彼が受け入れた霊的真理、霊の世界の現実をそのまま告白したもの。
するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです(17節)。
このイエス様のことばがペテロだけに対するものであるのはなぜか。言うまでもなく、告白したのがペテロだけであったからだ。でも、最初の「人々は人の子をだれだと言っていますか」という質問には、みなも活発に答えた。ところが、それには、イエス様も何の反応も示されなかった。この差は大きい。ここに大きな真理があるが、分るだろうか。
人がいくら聖書を読んでも、また説教をいくら聞いても、それが最初の質問に対する弟子たちのディスカッションのレベルであれば、霊的には何の益にもならない。それはみな、頭の中における、人の意見のレベルにしか過ぎない。聖書研究会というタイトルは立派だが、ふたを開けてみると、中味はゼロ。何の効果も働きもない。霊の世界では、何も変わっていない。ところが、ペテロの告白には、イエス様は大喜びで反応された:「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです...」。
このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です(17節)。
ペテロは、これを「父」から学び、教えられた。これを、聞く耳と言う。イエス様はそれまで、ご自分がキリストであることを公に認められたこともなければ、自分の口で語られたこともなかった。それなのに、なぜ、ペテロに分ったのか。もっと言うなら、なぜ、イエス様はそれをご自分の口で直接語られなかったのか。その心が分るのも、大きなコツ!聖書を単に頭や感情で読むことと、みことばを父から教えられることの違いを知るのが、聞く耳を育てるための大きな鍵だ。実は、クリスチャンの人たちはみな、父から教えられることを自然に、無意識のうちにしている。しかし、それを自分がしていることを、もっと意識的に分ってすることができるようになれば、間違えることがなく、無駄がない。
ところが、そのようなクリスチャンであっても、何か特定の事柄のことになると、聞く耳を持たず、何度聞いてもその真理が分らないということがあることも知っておくと良い。実は、上のようにりっぱな告白をしたペテロであったが、今度は、サタンに用いられて、イエス様の足を引っ張るような告白をした。しかも、それは、あのりっぱな告白をした、すぐその直後であった。