「日本人の身体」3回目となる今回は、本を読みながらアワノトモキが個人的に心が動いた話題を二つ、ご紹介していきます。
◎自然と情緒
日本の詩歌には、自然の風景を描写しただけのものが少なくありません。
それでも、形容詞すらない淡々とした風景描写が、心を動かすことがあります。
たとえば、朧月夜という曲があります。
「菜の花畠に入日薄れ…」ではじまる、岡野貞一さん作曲、高野辰之さん作詞による曲です。
一切の感情表現がないにも関わらず、聞いていると感情が湧き出てこないでしょうか。
アワノさんはこの曲を聞いて涙が出てしまったそうです。
また、柿本人麻呂の詠んだ歌に、こんなものがあります。
ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
(東の空に太陽が昇ってきて、その太陽の眩しさに思わず反対側の西側を見たら月が沈んでました)
この歌は、文武天皇との旅行の際に詠まれたそうです。
ちょうど文武天皇の父親、草壁皇子がなくなったタイミング。
これが太陽と月に表されているようです。
上るものと沈むもの。何やら郷愁を感じる内容です。
ところが、これは日本人以外には伝わりにくい描写だそうです。
IもYouもない。感情表現もない。
いわゆる見立て的な考え方は理解しにくいんだとか。
自然と情緒が溶け合っている感覚は、日本人ならではなのかもしれません。
◎能とチームビルディング
能は、完全なジャズ、即興ダンスのように、監督もいない、練習もしないものだそうです。
当日、様々な流派のメンバーが集まって、大きなストーリーを元にその場で成立させていくものだとか。
そこで求められる大切な力は、それぞれが発するため息を受け取る力だそう。
今我々は疲れたとき、がっかりしたときに出る息をため息と呼んでいますが、元々は肺の中に長く溜める深い息をため息と呼んだそうです。
能ではこの深く溜める息をっていうのを「コミ」と呼んでいます。
このコミを通じて、お互いの意思を確認し合い、流れをつくっていく。
演者も謡もお囃子も、お互いの呼吸に気を配る。
そもそも能で使われる音には三つの分類があります。
太鼓の音、掛け声、もう一つが無音、という考え方です。
これを、能を見に来ている観客の方々も含めて参加してつくっていく。
場を共有し、たとえ無音からでもお互いを察し合える。
一方的に演じ手が観客に何かを伝えるものではなく、皆で呼吸を感じ合うものだったのかもしれません。
当時、狩猟に行く前には皆で声を出し合って、その声が調和しているときには狩猟も成功する。
調和しない時には失敗の可能性が高いので狩りに行かない、と判断する習慣もあったようです。
今の時代で言うと、ミーティングの際におこなうチェックインという行為にも、お互いの声から相手の状況を伺うという側面があります。
どちらも、いわゆるいわゆるチームビルディングの一環とも言えるかもしれません。
昔、能を見に行って寝てしまった星野ですが、こうした感覚を認識した上でであれば、能ももう少し楽しめるのかもしれませんね。
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