今回は本の中で粟野さんが気になった3つのテーマについてを聞いていきます。
【3つのテーマ】
1.「身体」という言葉が江戸時代まで持っていた意味
2.「和をもって尊しとなす」という言葉の意味
3.「あしらう」という言葉の本来の意味
どのテーマも、言葉の真の意味と誤解された意味についてのお話です。
1.「身体」という言葉が江戸時代まで持っていた意味
江戸時代の辞書によると「身体」とは「死体」のことでした。
心が離れた後の「身」を区別して「身体」と表現していたのでしょうか。
ちなみに明治時代になり西欧文化が入ってきたことにより、心と体を分ける考え方が広まっていきます。
著者の安田さんは夏目漱石などの日本文学も研究されていますが、「吾輩は猫である」の中にはそんな社会の風潮を批判するこんな台詞も出てくるんだとか
「最近は体を鍛えることを良しとしている。これは西洋病だ」
「無我夢中」や「火事場のバカ力」と言われるような心と体が一体化した状態が、心と体を分けて考えることによって、出せなくなってきてはいないでしょうか。
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2.「和をもって尊しとなす」という言葉の意味
聖徳太子の有名な言葉「和をもって尊しとなす」。
ここで使われる「和」の正しい意味をご存じですか?
「ヤクという楽器をたばねる」という事柄を表していたようです。
そこから「様々な違いのあるものを調和させ、新しいものを生み出す」という意味に。
翻って今の時代、我々はディベートにより勝敗をつけたり、全体のコンセンサスを取り一つの結論を出したり、多様性を失ってきてはいないでしょうか。
「三人寄れば文殊の知恵」という諺にもあるような、クリエイティブな姿勢を表していたようです。
日本を中央集権的な体制に変革しようとしたイメージが強かった聖徳太子ですが、実はダイバーシティを重視した体制をつくろうとしていたのかもしれません。
「和」という言葉の本来の意味から、日本人ならではのリーダーシップ像が見えてくる気がします。
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3.「あしらう」という言葉の本来の意味
「あしらう」という言葉を使うとき、人を軽んじるイメージがありますよね。
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あしらう→あえ+しらう
「あえ」は「饗=もてなすこと」
「しらう」は「お互いに」
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ここから、お互いにおもてなしし合う、というのが本来の意味。
ところで、誰かと仲良くなりたいと思ったとき、食事に誘いますよね。
人間は普段、皮膚によって外と中の世界を分けています。
ですが食事をするときには、口を通して相手に中の世界を見せることになります。
お互いが普段は隠している中の世界を見せ合うことで、より親密さを深める行為が食事、ということです。
深い交流、という意味でセックスと同じ、とまで言っていたりします。
ともかく、「あしらう」とは実は愛のある行為だったわけです。
3つのテーマとも、言葉の本来の意味を解明するものでした。
普段何気なく使っている言葉にも、誤解があるかもしれません。
ですが、その本来の意味を知るだけでも、もののとらえ方が変わり、未来の行動も変わるかもしれません。
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また皆さんのご意見もお聞かせください。
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