Show notes
亡くなった人のことを思い、ここに居てくれたらと思うことがあります。この世にいる人ならば、車を走らせたら会える。電話をかけたら声を聴くことができる。けれども、この世から「居なくなった人」にはそれができません。「あの時、何かを恐れもう一歩近よらなかった失策が、はじめてわかる」という心境は、年を重ねていくにつれ、実感しないではいられないのではないでしょうか。だからこそ、後悔のないよう人のために自分のために、今できることをしたくなるのかもしれません。それでも「失策」があることは、人のすることゆえ仕方ないのでしょう。だからこそ「『死』があることはきっと『わかる』ことのためなのだから――」という最終行に救われるような思いがします。誰かが「わかる」と思えば、「居なくなった人」の「失策」でさえも、その誰かにとっての生きた意味と価値として生きて命をつなぐのかもしれません。 <文・白根直子>

