残間光太郎の"闘うものの歌が聞こえるか"
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kotaro zamma
技術も芸術も自分に忠実であれノベーション(1180回)
18 minutes Posted Oct 16, 2024 at 3:59 pm.
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本田宗一郎さんの言葉に深く共感しました


"技術と芸術はちがう、と私は考えていたが、自分に忠実であることが、悔いの残らぬものをつくるための最低条件という点で、両者は相通じるものである。


だから、私が最も美しいと思うものを、きっと他の多くの同時代の人は思ってくれるだろうと信じてきた。"


"芸術とはちがって、技術には実用の要素や経済的な制約がある場合がほとんどだが、オートバイにしろ自動車にしろ、それはひとつのすばらしい創造であると私は考えている。"


ここから私は思いました

1、技術も芸術も自分に忠実か

2、民藝 

3、社会彫刻 


以前、テクノロジーとデザインは課題を解決しようとするもの、アートとサイエンスは問題提起をするものと、違いがあるというお話をしたことがありましたが


実は技術と芸術は共通点もあるとのお話に、考えさせられました


技術と芸術は、自分に忠実であるべしことで、相通じるものである、との言葉には、とても共感いたしました


いずれも自らのパッションの源から出てくるものに忠実であれるかどうか、あるいは、誰かの作らされている、義務的にやらされているものとは、一線を画すというものだということをつくづく思わせて頂きました


その考えは、柳宗悦さんの民藝の考え方にも通じるものがあるなあとも思いました。つまり、機能的であるにもかかわらず美しい、さらには機能的であるからこそ尚更美しい


本田さんの考える技術とは、そんなことだったのかもなあと、思いを巡らせました


そして究極的には、ヨーゼフボイスさんの言われる、社会彫刻のように、


"あらゆる人間は自らの創造性によって社会の幸福に寄与しうる。すなわち、誰でも未来に向けて社会を彫刻しうるし、しなければならない"


それは、技術や芸術だけではなくて、生きていくことその全てが、実は誰もが新しい社会を構想し、創造し、実現することができる


その可能性を誰もが持っている


その最初のとっかかりは、技術でも芸術でも、自らのパッションに耳を澄ませて、動き始めること


技術も芸術もパッションに耳を澄ますことから始まる


技術も芸術も自分に忠実たれノベーション


そんなことを思いました^ ^


参考: 本:やりたいことをやれ 著者 本田宗一郎   発行所:株式会社PHP研究所 製作日:二〇一四年九月二四日

参考:artacape  社会彫刻 https://artscape.jp/artword/6047/