
片桐はいりさんが、今現在、映画館のもぎりをしている理由に、深く感度させて頂きました曰く「自分の出自を問われたら、『映画館の出身』と答えたいです。俳優としての経歴を考えれば、『大学時代から小劇場の舞台に立ちまして……』と言うのがスジかもしれません。でも心の底では、演劇でもドラマでもなく、私は映画館の出身だとかたくなに思っています」「中学から女子校に通っていたのですが、学校生活や勉強に馴染めなくてね。唯一楽しかったのが、学校が催してくれた映画鑑賞会です。放課後には、おカネが許す限り有楽町や銀座の映画館に通っていました。内容はなんでも良かった。映画館で作中の別世界に入り込むことが、たまらなく面白かったんです」ここから私は思いました1、パッションの源を忘れない2、創る側と観る側の気持ち3、パッションの源への恩返し1、パッションの源を忘れない片桐さんが言われた「自分の出自を問われたら、『映画館の出身』と答えたいです。」との言葉から自分の出自を聞かれたときになんで答えるかなあと思いました会社に入って、新しいビジネスをいろいろ作ってきて、オープンイノベーションにたどり着いてきたものですみたいな感じに、私の場合、経歴を時系列に言っちゃうのですが、片桐さんは、自らのパッションの源がどこだったか?ということを、あえて出自に言うと言う意味で、とても素敵だなあと思いました自分の今に至る内発的動機の元はどこにあったのか?それを出自として語る、それは、自らのパッションの源を確認することでもあり、そして、他の人にもそうみてほしい、というメッセージでもあると、思いました2、創る側と観る側の気持ちよく言われるように、アートは、創る側から発信されて、観る側がそれを各々が解釈されることで、完成する、とのことですが片桐さんは、映画人・演劇人としての創る側と、そして映画館のもぎりとしての観る側の感情を、両方ともに、わかる人となってるんだなあと思いましたこれは、デザインシンキングにおける、見る側の人たちが、どんな思いでチケット買って、もぎりを通って、始まるまでの暗い中でワクワクして、ポップコーン食べながら、泣いて笑って、そしてリアルに戻っていくと言うような観客側の気持ちや行動や課題感を、共感として理解できることを常にやられていると言うことかと思いますそれは、恐らくは、クリエイティブに戻ったときに、その気持ちを理解しながら創ると創らないでは、全くものが変わってくるのではないか片桐さんの、映像や舞台での演技には、それが反映されているからこそ、唯一無二の感動を頂けてるのかもしれないなあと思いました3、パッションの源への恩返し自分が今ここにいるのは、奇跡的に会社に入らせて頂き、さまざまな人と出会わせて頂き、仕事を厳しく指導して頂き、愛を持って仲間に加えてもらえた、そのおかげだと思いますそして音楽活動も、小さい頃からピアノを学ばせてもらえて、めちゃくちゃ素敵なメンバーに巡り合って、音楽できる環境があって、今できているそれらに対して、何らかの恩返しをしたいと言う気持ちは、とても強いものがあると思います自分がワクワクさせれてもらえた、今の自分を創り上げてくれた全てのものや人に、恩返しをして死ぬこともしかしたら、それが1番幸せな生き方なのかもしれないなあと思いました片桐さんが、映画館でもぎりをやられているように、自分も、何かできることで恩返しをしたいそれは、まさに、内発的動機への恩返し、パッションの源を形作ってくれたものたちへの感謝イノベーターリップルモデルは、パッションから始まり、仲間と共に、誰かが喜ぶ大義を実現しますがその大義の中には、これまでの仲間や、パッションの源に対する感謝を、実現したいと言うことが、たくさん含まれていると思いましたと言うことで一言で言えばパッションの源への恩返しノベーションそんな話をしています参考:FRIDAY DIGITAL 「もぎりも担当」片桐はいりが今も映画館で働き続ける理由 2020年11月27日カルチャー https://friday.kodansha.co.jp/article/147760
Aug 5
13 min

慶應義塾大学総合政策学部教授の琴坂将広さんより、新たなイノベーションの形を教えていただきました曰く"制度的起業家とは、「新しい制度を創造したり既存の制度を変革したりすることで、自らに有利な機会を創出する組織的アクター」と定義できる。テスラのイーロン・マスクは、その典型例だ。彼は電気自動車を製造・販売するだけでなく、スーパーチャージャー・ネットワークという新たなインフラを構築し、各国政府に働きかけて購入補助金制度を整備させ、ディーラーを介さない直販モデルの合法化を推進した。つまり、電気自動車が成功するための「新たなゲームのルール」を自ら創造したのである。"1、ルールを守るというバイアス2、ルールの破壊ではなく創造3、大きな大義の必要性1、ルールを守るというバイアスルールはもちろん、守るべきものとして定められたものなので、守らなければならないのですが、時代のアップデートともに時代にそぐわなくなってくるものでもあるということを、あらかじめ、自分の中にビルトインしておくことは、とても重要なことだと、改めて思いましたイーロンマスクさんの事例のように、起業家は特に、ルールを変えイノベーションを起こすというところに、面目躍如があるのかもしれないですね逆に言えば、バイアスがあるからこそ、イノベーションが起こしやすい領域であり、突破の鍵が見つかれば、誰もに先駆けて市場を創造してい具ことができるそれが制度的起業家ということなのかもしれないなと思いました2、ルールの破壊ではなく創造そこで難しいのは、単に、これまでのルールを破壊することではなく、新しいルールを創造することにあるということのような気がしますともすれば、ルール自体が古いからという理由で、そのルール自体を破壊してしまうような方法では、対立を深くする気がしますこれまでそのルールがあったという理由と背景がそこにあって、それを理解した上での、新たなルールづくりをしていく破壊ではなく、時代に合った新しいルールを創造していくそこには、今の時代にあったルールとは、いったい何なのかという、説得力のある、物語が必要になってくると思います3、大きな大義の必要性そこで、重要となってくるのは、これからどのような世界を創っていくべきなのかという、大義なのではないかと思いますこれから世界がどうよくなっていくのか、のビジョンをもてることが、新たなルールの創造に、人がついてくるかどうかが決まる気がします制度的起業家は、国や世界をどう変えていくかの大きなビジョンによって、どれだけの仲間を味方につけていけることができるか国や世界までも、仲間として集ってくる、そんなことを目指し、実現していく、そんな起業家なのかもしれないと思いましたこれからの起業家は、もちろんパッションも大事ですが、売上目標も大事ですが、世界をどう変えていくべきなのか、という大きな大義を持てるかに、かかってきているのかもしれないなと思いましたということで、一言で言えば制度的起業家ノベーションそんな話をしています参考:本: 経営戦略の進化〈理論編〉 電子版発行日 2026年4月28日 Ver. 1.0 著者 琴坂将広 発行所 東洋経済新報社
Aug 4
17 min

映画監督の是枝監督の言葉にクリエイターの真髄をみました曰く"(他の人の意見を)出すことはいいことなんですよ出したものが否定されたとしても、そうじゃないって選択肢が僕の中で残ればなぜそうじゃないかを考えることで、何が正確かを見つけられる"ここから私は思いました1、セレンディピティを組み込む2、インプロビゼイションの力3、個の力を超える1、セレンディピティを組み込むシステムエンジニアをやっていたときには、いかに想定外のことが起きないように、予測してその対処も全て共有化しておくそれでも絶対はないので、その場合についても計画しておくという、やり方を徹底してやってましたクリエイティブの真髄は、それとは全く逆で、予想外のことをいかに起こしていけるか、ということが、実はとても重要ということに、改めて気が付かされましたしかもそれを待つだけではなく、仕組みとして入れていく、ということが、いかに大事かと番組では、なりたての助監督の提案が実際に映像にのこっていく、それがまた次の提案を生み出していくそんなスタンスや行動、そして実践が、セレンディピティを産んでるのだなあと、感動しました2、インプロビゼイションの力インプロビゼイションとは、ジャズなどのの即興演奏のことですが、ある一定のルールの中で、自由なな発想で各々がプレイすることで、思いもよらない演奏が生まれてきて感動することが多々ありますこれを、今回のようなクリエイティブな仕掛けとして入れ込むということは、とても面白いと思う反面、それらを最終的にどうまとめていくのか、そこにが難しさがあると思いましたもちろん、フリージャズのように、どうなってもオッケー、というやり方も一つのやり方かと思いますしかし最終的に、創り上げたものを、観ている人、聴いている人に、わかるように仕立て上げていく、ということが求められることもあると思いますそれが1番難しいし、それを仕立て上げられるという、スキルとノウハウ、さらには経験と自損がないと、とてもじゃないけど、怖すぎてやってられない自由とまとめる、この二つの微妙な匙加減をやり切れる、そういう人が必要になってくると思います3、個の力を超えるもしそれができたなら、その作品は間違いなく、1人で創り上げるものよりも、より、意外性があり、クレエイティビティの高いものを作ることができるのだろうなあと思いましたメンバーの力を最大限に出してもらうために、極限まで自由に羽ばたかせる、それどころか各々に生まれるセレンディピティを最大化するそしてそれを、最終的には、この力を超えた創造物として、世の中の人たちに、わかるように伝えるそれができる人が、チームとしての、個を超える、クリエイティブを作れる人なのかもしれないイノベータリップルモデルでも、個のパッションから、仲間と共に、個を超えるものに、波紋を拡大させられることができるかそれが、たくさんの人たちに受けいられる大義への昇華ができるかどうかの、分かれ目にもなるかもしれないと思いました一言でいうとセレンディピティを組み込むノベーションそんな話をしています参考: NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 探しても 探しても ~映画監督 是枝裕和~ 7月31日(金) https://www.web.nhk/tv/an/professional/pl/series-tep-8X88ZVMGV5/ep/R6NM14Y79N
Aug 3
13 min

違うまま共にに生きるノベーション(1924回)スーパー歌舞伎「もののけ姫」にめちゃくちゃ感動し、プログラムの中にあった、スタジオジブリの依田謙一社長からの、宮崎駿さんが、もののけ姫の映画の企画書で書いていたという言葉に、感動しました曰く"少女は、最後に少年にいうだろう。「アシタカは好きだ。でも人間を許すことはできない」と。少年は微笑みながら言うはずだ。「それでもいい。私と共に生きてくれ」と。そういう映画を作りたいのである。''ここから私は思いました1、それぞれの正義2、許さないを受け入れる3、違うまま共に生きる1、それぞれの正義改めてスーパー歌舞伎で「もののけ姫」を観させていただき、このストーリーには悪役もヒーローもいないのだなあとつくづく思いましたそれぞれが、それぞれの正義のために戦い、傷つき、そして新たな正義を模索していく、そんな物語に思えました進撃の巨人の塀の中の人と、外の人と、景色が全く違うように、自然界と人間というのも、いつの間にか、全然違う正義を持つようになってしまったのかもしれないなと思いましたもともとは、同じ正義のもとにあったはずなのに、いつの間にか、それが対立するものになっていってしまうこれは、自然と人間だけではなくて、国と国の関係や、人間関係や組織関係においても、そのようなことが起きて、そして、いつの間にか、対立軸ができてしまっているまさに世界の縮図だなあと思いました2、許さないを受け入れる少女が「人間を許すことはできない」と言った中で、少年が「それでもいい」と許していることが、とても大きな考え方の転換になるのではないかと思いました例えば、子供が喧嘩をした場合でも、謝りなさい、から始まって、じゃあ、お互いに握手、という形で、暗黙に、謝ったんだから、許してあげなさい、ということがあるのではないかと思いましたお互いに違いがあることを認識して、そして、お互いに許し合うこと、ということがとても大切だとは思うのですが、現実問題では、そんな都合のいいことはほとんどないどうしても、許せない、という感情が湧き上がってきてしまうそういう現実を見つめるのだという強いメッセージを感じましただからこそ、許してくれない、ということを受け入れた上で、どうするのか、という起点に初めて立つことができるそんな考え方を学びました3、違うまま共に生きる人間関係の中では、あまり合わない人とはそもそも合わないことが最善策、みたいなことを言われるのもよく見る気がします先方が許してくれないから、なんか、考え方が合わないから、じゃあいいや、と言って、2度と会わないような選択をとっていくこともあるなあと思いましたしかし、この少年は、それでもいいから、共に生きる、ことが大切と言ってくれてるのかなあと思います人それぞれでいいんじゃないの、という突き放した考え方から一歩進んで違うんだけど、もっと関わっていこうよ、という、違うからこそ、一緒にいて、面白いんじゃないと言えるような方向性の気がします知ってる、僕のこと、嫌いなんでしょ、それでいいよ、でも僕は、全然君のことは嫌いじゃないから、それでいいよと言ってくれているようなそれがいつしか、きっと本当の共生をすることができる、きっと第一歩になると信じているからなのかもしれないなあと思いました答えはないけど、答えを一緒に探していくことができるかもしれないそんな可能性に賭けてみる、そんな宣言なのかもなあと思いましたということで、一言で言えば違うまま共にに生きるノベーションそんな話をしています参考:スーパー歌舞伎「もののけ姫」原作 宮崎駿 オリジナル音楽 久石譲 脚本 丹羽圭子 戸部和久 上演台本・演出 横内謙介 協力 スタジオジブリ 出演 市川團子 市川中車 他 新橋演舞場 制作 松竹 のプログラムより動画で観たい方はこちらhttps://youtu.be/IKzU7Pw9K8o
Aug 2
14 min

2017年のブロードウエイでトニー賞6部門を獲得した、ミュージカル ディア・エヴァン・ハンセンの日本初公演に感動してとても考えさせられましたこんなキャッチコピーから始まります"はじまりは、僕が僕に宛てた1通の手紙と、ひとつの嘘だった。"(ホームページより)ここから私は思いました1、確証バイアスが描く物語2、バイアスを砕く贈与の存在3、贈与がくれる自らの選択1、確証バイアスが描く物語素晴らしい音楽と、皆様の歌唱と演技、また美術もセットも、本当によく考えらえているなあと、とても感動しました私がとても印象に残ったのは、人は、事実よりも、自分が信じたい物語を信じてしまう、確証バイアスの怖さを思いました劇中では、一つの嘘が、周囲の「こうであってほしい」という願いと重なり、一つの大きな物語に、どんどん発展していきますこの物語を通じて思ったのは、私たちは、真実だけで生きているのではなく、善意からの希望に溢れた物語を、全く事実と異なる形に変容させながら、実は紡いでしまっているそんなことがあるのかもしれないなあと思いました2、バイアスを砕く贈与の存在イノベータは、どんなに世間の反対があろうと、そのバイアスを壊していく人であると、私は思っていますがこの物語から、そのバイアスに塗れた物語を壊すものとして、贈与の力、というものがあるのかもしれないなあと気づかせていただきました贈与の最も身近な姿は、親の愛情というのがあると思いますが、それは、「出世する物語」や「大成功する物語」を求めているのではなくてただ「あなたがあなたである」ということを、目指して、ひたすらに「自分らしく幸せに生きる」ことのみを、祈り、願っているものなのだと思いますそれに、触れた時、どんな確証バイアスに塗れた物語も、真の姿へ戻ることを助けてくれる、そういうパワーを持っているのだなあと、思わせていただきましたその時、人はありのままの自分と向き合えるのかもしれない、そんなことを思いました3、贈与がくれる自らの選択誰かが信じてくれたから、自分も自分を信じてみようと思える。それが贈与の素晴らしい力のような気がしますその結果、ありのままの自分を見つめることで、自らのパッションの源に沿った、選択をしていけるようになるのかもしれないなと思いました贈与で、誰かに与えられた愛は、依存させるものでは決してなく、自分自身で、自分の人生を選び取れるようにしてくれるだからこそ、本当の贈与は、人を自由にしてくれるものなのかもしれないと思いましたそんな素敵な物語を見せてくれたのが、ディア・エヴァン・ハンセンでした一言でいうと、ディア・エヴァン・ハンセン・ノベーション。そんな話をしています。参考:ミュージカル ディア・エヴァン・ハンセン ジャパン2026 脚本 スティーヴン・レヴェンソン 作詞・作曲 ベンジ・パセック/ジャスティン・ポール 翻訳・演出 小山ゆうな 訳詞 高橋知伽江 出演 柿澤勇人 安蘭けい 主催 ホリプロ/テレビ朝日
Aug 1
16 min

モモから、マイスターホラが教えてくれた、星の時間、について考えさせられました曰く"「それはね、あらゆる物体も生物も、はるか天空のかなたの星々にいたるまで、まったく一回きりしかおこりえないようなやり方で、たがいに働きあうような瞬間のことだ。そういうときには、あとにもさきにもありえないような事態がおこることになるんだよ。だがざんねんながら、人間はたいていその瞬間を利用することを知らない。だから星の時間は気づかれないままにすぎさってしまうことがおおいのだ。けれどもし気がつく人がだれかいれば、そういうときには世のなかに大きなことがおこるのだよ。」"ここから私は思いました1、自分にとっての星の時間とは?2、今が星の時間かもしれない3、誰かの星の時間になる1、自分にとっての星の時間とは?人生を振り返ると、「あの瞬間がすべての始まりだった」と思える出来事があるなあと思います誰かとのとの出会い。一冊の本との出会い。勇気を出して踏み出した一歩だったり独立の一歩を踏み出した時は、本当に怖くて寝れない夜を過ごしました。でもそれを踏み出したからこそ、今の自分がいると思える、自分にとっての、星の時間、だったのかもしれないと思います。哲学者のセーレン・キェルケゴールは、「人生は後ろ向きにしか理解できない。しかし、前向きに生きなければならない。」と言ったそうです。皆さんにとっての、星の時間って、いつですかね?必ず誰にでもある気がしました2、今が星の時間かもしれないマイスター・ホラが語るように、多くの人はその瞬間に気づかないまま通り過ぎてしまってるのだとすればもしかしたら、今が、その、星の時間、なのかもしれないでも、我々が知らないうちに来てるのだとすれば、常日頃、星の時間が来てるかもしれないと思って過ごすことは、楽しいし、充実した今を過ごせるかもしれないなあと思いますしそうすることで、せっかくきた、星の時間、を逃すことがない今を生きることで、星の時間、を生きることができ可能性が高まる、今、人生の分岐点を生きていると思うことが、星の時間過ごすことができる、お得な過ごし方かもしれないなあと思いました3、誰かの星の時間になるマイスターホラによると、星の時間は、互いに働き合う、ことが生じるということなので実は自分が、星の時間、を過ごすということは、誰かが、星の時間を、共に過ごしている、ということになるのかもしれないなあと思いました星の時間は、自分だけの時間じゃないとすると、自分が、星の時間、を意識することで、誰かの星の時間、を増やすことにもつながるということなのかもしれません今が、自分の分岐点なのかもしれないし、もしかしたら、誰かの分岐点なのかもしれない星の時間を生きることは、誰かにも、星の時間を生きることを繋げていける、そんなことを思いましたモモが、人の話を心から聞いてくれるその時が、その人にとっての星の時間にもなっているもしかすると、イノベーションは、自分の星の時間から始まって、誰かの星の時間を作っていく、そんな活動なのかもしれないな、とも思いました一言でいうと、星の時間ノベーション。そんな話をしています。参考:本: 岩波少年文庫127 モモ〔電子書籍版〕 二〇一七年七月二〇日 発行 作者:ミヒャエル・エンデ 訳 者:大島かおり(オオシマカオリ) 発行所:株式会社 岩波書店
Jul 31
13 min

イーロンマスクさんが、スペースXを創業した翌年、スタンフォードでの講演した内容に、マスキズムの真髄を感じました曰く"国防高等研究計画局(DARPA)がインターネット黎明期の推進力となり、初期の開発コストの多くを引き受けたのと同じように、NASAもまた、初期段階で根幹技術の開発に資金を投じることで、実質的に同じ役割を果たしてきたと言える。そこに商業の自由競争を持ち込めれば、インターネットで見られたのと同じ劇的な加速が起きるはずだ。"マスキズムの著者のクィン・スロボディアン、ベン・ターノフ さん曰く"つまり宇宙は、「国家との共生」というロジックのもとでマスキズムが探していた次なるフロンティアだったのだ。""しかしマスキズムとは、企業が国家に取って代わることではない──両者の融合を志向するものだ。"ここから私は思いました1、国家と市場の融合2、国家は倫理をより重視し、市場は成長をより得意とする。3、ビジョンとソリューション1、国家と市場の裕 融合国家主導というと、ある程度の枠組みの中で、ともすれば自由が阻害されるのでは、と思いがちだし市場主導というと、自由にやり過ぎて、独占や逸脱があるようなイメージにもなりますが一見、対立しそうなこの二つの考え方で、互いの強みを生かし、お互いの役割を補完し合う「国家か市場か」という対立ではなく、「国家と市場」という発想なのかと思いました国家は長期的な投資やルールづくりを担い、市場は競争を通じて価値を社会へ届ける。インターネットも宇宙開発も、この二つが融合したからこそ、大きく発展しのたのだなあと思いましたヘーゲルが語ったように、本当に新しいものは、対立のどちらかを選ぶことではなく、その両者をより高い次元で統合すること、アウフヘーベンから生まれるのかもしれないと思いました2、国家は倫理をより重視し、市場は成長をより得意とする。国家と市場のアウフヘーベンがあったとして、その役割分担はどうなるかと考えた時に国家はより倫理を司り、市場が成長を担う、そんな役割分担なのかもしれないなあとも思いました成長しようとすると、どうしても倫理が疎かになるし倫理中心で行くと、成長を抑えてしまいがちになるドラッカーは、「利益は企業の目的ではなく、企業が社会に貢献し続けるための条件である」と述べたように両方が必ず必須になるので、融合することによって、より両面が強化されつつ促進されるそん形になればいいなあと思いました3、ビジョンとソリューション国家は選挙や株価に左右されにくいテーマについて、超長期のビジョンを描きやすい存在なのかもしれないなあと思いましたそしてそれを実現するソリューションを生み出せるのが、市場または、その中にいる人々というとかと思いますまた国家と市場はお互いに常日頃影響しあって、アップデートされていくことが大事とも思います市場からセレンディピティで生まれてくるソリューションや発明などにより、超長期のビジョンが新たにアップデートしていくことがあるかもしれないし国家からの地球規模、または宇宙規模の大いなるビジョンが描かれて、そこに新たなソリューションを築くアクティビティが生まれていくもちろん、それは特定の企業と国家が利益を共有するような癒着ではなく社会全体の未来を見据え、それぞれが役割を果たす協働なのかなと役割分担としての、そんな素敵な融合とコラボレーションが、できる世界は素敵かもしれないなあと思いましたもう少し抽象化すると「大きなビジョンを描く人」と「それを実現する人」が共生することがイノベーションを生む、ということでもあるのかもしれませんというとで一言でいうと、国家との共生ノベーションそんな話をしています参考:本: マスキズム 新たな独占の時代 電子版 2026年5月30日 version1.0発行 著者 クィン・スロボディアン、ベン・ターノフ 解説 斎藤幸平 訳者 樋口武志 発行所 株式会社飛鳥新社
Jul 30
8 min

オハイオ州デイトンにあるライト州立大学哲学科教授のウィリアム・B・アーヴァイン さんより、古代のストア哲学者たちの知恵に、人の幸せへの考え方に目から鱗が落ちました曰く"たとえば、定期的に、人生が今よりもつらいものになる場合を想像するようにした。最悪の事態を想像し、潜在意識に錨を沈めれば(このような心理学の用語を使っていたわけではないが)、みじめになるだけのように思うかもしれないが、じつはその反対のことが起こった。錨があることによって、現状をどうとらえるかが変わる。現状をしばしば夢に見る最高の状況と比較するのではなく、より悪い状況と比較すれば、現状もそれほど悪くないと思えるようになった。"ここから私は思いました1、あえてネガティブな想像をする逆転の発想2、失って初めて価値を知る3、青い鳥はすぐそばにいる1、あえてネガティブな想像をする逆転の発想基本自分は、ポジティブシンキングな人間で、ディストピアよりもユートピアを思い描いていたいなあと思っていますし、何かあった時も、「前向きに考えよう」とか、「未来は明るい」みたいな、根拠のない思いがあると思いますしかし、ストア哲学者たちは、あえて逆を実践していたということに衝撃をいただきました。「もし今あるものを失ったら」「もし今日が最後の一日だったら」と想像するということ一見すると後ろ向きな発想で、暗くなってしまいそうですが、実は、それによって今あるものの価値が鮮やかに見えてくるという効果が、確かにあるなあと思いました哲学者セネカは、「未来の苦しみを前もって思索する者は、その苦しみに支配されない」と説いたと言いますネガティブな想像は、不安を増やすためではなく、現実を豊かに味わうための逆転の発想なのだなあと、改めて教えていただきました2、失って初めて価値を知る普段は、空気の存在のようで、もっと言えば、むしろ面倒くさいみたいに思っていた人が、突然、会えなくなってしまって、その価値の大きさに愕然とするということが、私も何回もありましたそれは今思い出しても、胸が締め付けられるほどの思いですが、その時には、全くそれを感じることはできませんでした空気のような存在ということは、いなくなれば、息が吸えなくなるんだよ、ということが、事前にはわかることができなかっただからこそストア哲学は、「実際に失う前に、その価値を感じよう」と教えてくれているのだなあと、改めてその重要性に気づきましたそれは、未来の目標を立てて、頑張っていく、それに向かっていくプロセスも幸せだと思うけれども今そこにある幸せに気づくこと、この大切さを忘れてしまうことは、とても厳しいことだとネガティブビジュアリゼーションは、それに気づける大切な営みだと、思います3、青い鳥はすぐそばにいるメーテルリンクの『青い鳥』では、幸せの青い鳥を世界中に探し回った兄妹が、最後に自分の家でその青い鳥を見つけます。幸福とは、遠くにあるものではなく、すでに自分のそばにあるものだった言われれば、そりゃそうでしょ、と思うのだけれども、実は、それに気づくことは本当に難しいなあと思います理想の未来を追うこと、目標を立てて突き進むこと、そこに幸せがあるはずと、ガンダーラというユートピアを目指すことそれも幸せの一つの形だと思いますが、実は、すでに幸せであると思えること、それができたら、もっと心が軽くなるかもしれないなと思いましたそれに気づかせてくれるネガティヴビジュアリゼーション・ノベーションそんな話をしています参考:本: ストイック・チャレンジ 逆境を「最高の喜び」に変える心の技法 2020年11月30日 電子書籍版発行 著者 ウィリアム・B・アーヴァイン 訳者 月沢李歌子 発行所 NHK出版
Jul 29
13 min

ピューリッツァー賞受賞ジャーナリスト兼小説家のジュリア・ケラーさんの言葉に、深く考えさせられました曰く"唯一の絶対的な間違いは、何も選択しないこと。何も選択しなければ、誰かに人生を決められることになるだけだ。 科学者や学者、歴史家、そして多数の一般の人への「やめること」についてのインタビューを通じて、はっきりと浮かび上がったことがある。人が後悔するのは、何かをやめたことではなく、「やめるべきときにやめなかったこと」なのだ。""私は、世間の「やめること」に対する偏見が、どちらの方向からも、なくなればいいと願っている。つまり、やめるべきことをやめられなくてもひどい人間とは見なされず、やめられたとしても、それが過度にもてはやされたりはしない社会になればいい、と。"ここから私は思いました1、諦めるな、と、やめるべき2、辞める辞めないが自由な世界3、自らのパッションに従える世界1、諦めるな、と、やめるべき私も成功した起業家が必ずいう言葉として「諦めなかったから」ということを、お話しさせて頂くこともありますでもそれは、時と場合によっていて、「辞めるべき」時にやめないことも、良くない結果になるという、一面も知っておくことが大切だと思いました名言や金言には、必ずその反対の意味の名言や金言が、必ずあってというお話しは、先日もしましたが、その時々のコンテキストによるということが大事かと思います心理学者のエイブラハム・マズローは、「もし手元にある道具がハンマーだけなら、あらゆるものが釘に見えてしまう。」という趣旨の言葉を残しています。ふと立ち止まって、道具はハンマーだけじゃないと気づけたら、他の選択肢も見えてくる、そういうことなのかもしれないなと思いました2、辞める辞めないが自由な世界途中で辞めることは、負け犬と言われるんじゃないかたくさんの人に応援してもらっているから今更辞められないあそこで辞めたことが、自分は続かない人間だと思われているに違いないこれらは、私としてはよく考えてしまうことですそして、実際に、世間の中の常識として言われていることも確かにあると思いますでも考えてみると、これらは。すべて人からどう思われているか、という他人軸からの見え方を気にしている、ということのように思いますそれが、自分の自由な決断に影響を与えてくるそこがとても難しいことだよなあと思います3、自らのパッションに従える世界それを跳ね返すことができるのは、自らのパッションの源に沿って生きられている、という自分しかないような気がしました世間体という判断からは、そう言われるかもしれないし、確かに言われていると思うそんな状況になったとしても、これが自らのパッションの源に沿う道筋だということに確認をもてれば、最後は自分を支えてくれる気がします例えば、スタートアップを始めたとして、それがうまくいかなくて、そこで一旦清算したとしても「なんで諦めるの?」「諦めちゃうまくいかないよ」と言われていたとしてもそれこそが、自らのパッションの源に従ったのだとしたらそれは、Fast Failで、次なる道への礎になったと言えばいいし逆に、何度も何度もやり直しても、それでも全然うまくいかなかったとしてそれでも、自らのパッションの源は、それをやり続けることにワクワク感をずっと感じているのだとしたら」「そろそろ諦めなよ」「絶対ピボットしたほうがいいよ」と言われていたとしても、いつかくる時がくる、と言い続けていればいい。それを、自由に選べる世界誰かに言われたから、世間的にそうだからということに、影響されずに自らのパッションの源に従っていけるそしてそれだったら、応援するよ、と言ってくれる世界そんな世界が素敵なのかもしれないなあと思いましたということで、一言で言えば辞める辞めないが自由な世界ノベーションそんな話をしています参考:本: 日経ビジネス人文庫 やめる 最良の人生戦略 電子書籍データ作成日 2026年6月3日 第1版 著 者 ジュリア・ケラー 訳 者 児島 修 発 行 株式会社日経BP 日本経済新聞出版
Jul 28
14 min

マイケル・サンデルさんの、言葉に深く考えさせられました"人はその才能に市場が与えるどんな富にも値するという能力主義的な信念は、連帯をほとんど不可能なプロジェクトにしてしまう。いったいなぜ、成功者が社会の恵まれないメンバーに負うものがあるというのだろうか? その問いに答えるためには、われわれはどれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。自分の運命が偶然の産物であることを身にしみて感じれば、ある種の謙虚さが生まれ、こんなふうに思うのではないだろうか。「神の恩寵か、出自の偶然か、運命の神秘がなかったら、私もああなっていた」。そのような謙虚さが、われわれを分断する冷酷な成功の倫理から引き返すきっかけとなる。能力の専制を超えて、怨嗟の少ない、より寛容な公共生活へ向かわせてくれるのだ。"ここから私は思いました1、私は私と環境である2、自分はついてると言えているか?3、もらった運を繋いでいく1. 私は私と環境であるスペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットが「私は私と私の環境である。」と言われたことを思い出しました生まれた時代、育った家庭、出会った人、健康、社会、そして自分を必要としてくれる市場。そのどれが欠けても、今の自分にはなれなかったと思います。 私が大企業に入れたのも、その中で切磋琢磨させてもらえたことも、あの時、もしあの人がいなかったら、もしあの出会いがなかったら、そんなことばっかりです。もちろん、その逆のこともあったのかもしれません。でも今ここに少なくとも言えるることは、私だけの力ではありえない、ということかと思いますだから実力とは、自分だけのものではないのだろうかと自分の努力と、自分を育ててくれた環境が重なり合って初めて生まれるものなのかもしれないと思いました2. 自分は「ついてる」と言えているか?経営の神様・松下幸之助さんには、採用面接で「君は運がいいと思うか?」と尋ね、「運がいいです」と答える人を採用したという有名な逸話があります。「私はついています」と言える人は、自分だけの力で生きてきたとは思っていないということ支えてくれた人との出会いも、失敗から学べた経験も、「運が良かった」と受け止めて、決して自分1人ではできることではなかったと思えているかサンデルさんが語る「謙虚さ」とは、まさにこの姿勢のことかもしれないなあと実力を誇るのではなく、運に感謝できる人ほど、本当に実力のある人なのだという気がしました3. もらった運を繋いでいくそんな風に、自分についてくれた運を振り返ってみると、間違いなくたくさん応援してくれたから今があるだとすると、それをもし、他に人にも同じように自分が運を与えることが少しでもできたら自分よりもより遠くへ飛べる人が出てくるのではないか自分が生涯に遺すべき遺産は、誰かに一握りの運を繋いであげることなのかもしれないなあと思いました例えば挑戦する人たちを応援すること。若い世代に選ぶ選択肢を見せてあげること失敗した人に、もう一度立ち上がる場所を残すこと。そうして、自分が受け取った幸運を社会へ返していく。オルテガが「私は私と環境である」と語ったのなら、その環境をより良くして次の人へ渡すことも、私たちの責任なのかもしれないなあと思います実力を競い合う社会から、運をつなぎ合う社会へ。一言でいうと、運を繋いでいくノベーションそんな話をしています参考:本:マイケル・サンデル 実力も運のうち 能力主義は正義か? 二〇二三年九月十五日 電子書籍版発行 著 者 マイケル・サンデル 訳 者 鬼澤 忍 発行所 株式会社早川書房
Jul 27
13 min
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