※一回録音に失敗しているのでメンタルを折られているのですが、グッドゴリラ氏の丁寧な対応により無事再録完了しました
○「知識を学習できる漫画」の功罪
・田素弘『紛争でしたら八田まで』面白いよねえ:スパイサスペンス的作劇+魅力的なキャラクター+食事描写+世界中の社会知識
・手塚治虫『アドルフに告ぐ』の時代考証は雑?「ティーガー戦車が党大会で登場するはずがない」「ユーゲントの少年による(当時においても)違法な処刑の描写」など?(我々はよくわかっていません)→『ブラック・ジャック』と同じくらいのリアリティラインかと思って読むと痛い目に会う?
・問題点は現在においても『アドルフに告ぐ』が「歴史を学べる名作」として伝えられていること
・読者の想定するリアリティラインと作者の想定するリアリティラインに齟齬があると困ったことになる!
・シリーズ日本の歴史などは、バージョン更新に伴って知識が更新されるから問題ない(関係ないけどあおむら純の作画いいよね)
・山田芳裕『へうげもの』古田織部と千利休について知るには良い漫画だが、織田信長と豊臣秀吉を知る出発点がここだとまずい(そんなことあるかね?)
・「面白い」は「危うい」!!
・松井優征『逃げ上手の若君』ジャンプで稀有な「歴史漫画」:GG「一応フィクションとして読んでるけど…」実験「でも"鎧はマジで重い"みたいな描写は本当だと思ったでしょ?」GG「むう…」→気づかぬうちに漫画から「学習」してしまっているということ
・マンガを勉強のとっかかりとすることはアリだけど、あくまでとっかかりでしかないことを自覚できるか?
・日本財団(当時)の「これも学習マンガだ!」プロジェクト:今までの議論を考慮すると非常に危うい企画という企画がする→マンガを権威づけることで、「我々が嗜むマンガという文化は尊いものである」というステートメントとなるわけだが、それを無邪気にやってよいものか
○マンガで学習することは「悪」か?
・『紛争でしたら八田まで』は監修(東京海上リスクコンサルティング株式会社)がついているのだから、そこで出てくる知識を全部疑ってかかるのも非合理
・正しくなくとも世界が広がる「功」の面:ブラッディ・マンデイみてプログラマを目指す人
・インターネットで専門的な議論をする際に参考資料がフィクションだと…
・「歴史研究」という営み自体も事実から歴史観というフィクションを想像/創造する行為:実験「E・H・カーの『歴史とは何か』でそんな感じのことを言っていたような気がしなくもないです」GG「読んでみようかな?」実験「僕が読んでないので読まなくていいです!(?)」