哲楽
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哲楽編集部
高校生からの哲学雑誌
概念の脈動性を活写する
(インタビュー◎2021年10月4日テレビ会議にて Music: Korehiko Kazama) 入不二基義さんは、青山学院大学で哲学を教えている。自身の思考は日々、ワープロソフトから描画ソフトまで様々なアプリケーションを駆使して記録する。論文執筆時には、集中して、一挙に書き上げる。そうして蓄積された入不二哲学は、複数の概念の動きを捉え、それらが現れたり潜んだり、伸びたり縮んだり、時には螺旋状に流れたりする様子を活写し、独特な言葉遣いで読者の思考を照らす。 入不二さんは、11月11日という誕生日と、神奈川県立湘南高等学校出身であることに誇りをもっている。そもそも書く、という習慣がいつ始まったのか、その記憶を辿ると、幼稚園時代にまで遡る。小さな黒い能率手帳を持ち歩き、近所を探検して、お化けについて記録していたという。概念が動く形で現れ始めたのは、中学時代。数学の授業で習った2進法で、0と1だけで構成される数字の中に、2そのものがどこにも見出せないという衝撃を覚え、頭の中に視覚的なイメージが浮かんだ。これを「2進法の亀裂」だと感じたという。 そういえば、入不二さんの誕生日の1111は、2進法から10進法に書き換えると15になる。誕生日に暗号が隠されているようでもある。高校は神奈川県でも有数の進学校。試験前には、普段感じる疑問を全て封じて勉強に打ち込む一方、文芸部の活動で小説を執筆し、小さな疑問の断片が書き留められた。 幼少期に入不二少年が見ていたお化けは、幻覚なのか、空想なのか、それとも実在する何者なのか、それはわからない。ただ、お化けたちは「現に」そのような在り方で存在していた。哲学者になった入不二さんが書き下ろした『現実性の問題』という一冊の本があるが、お化けたちの在り方は、この本で描かれる現実の力ともどこかで通じているようでもある。 『現実性の問題』は、一年程前に刊行され、歴史に残ることを予期させる哲学書として話題になった。ただし、読解は容易ではない。現実の存在という形而上学を扱う哲学書であり、書かれてあることの先に詩や文学との接合を想像させる芸術的な書でもある。その一方で、読み手が正確に理解しようと読み込むうちに、不思議な魅力に取り憑かれる。入不二さんの著作の愛読者たちは、この魅力をエッシャーの騙し絵に喩えたり、精神的な力として感じたりもしている。 さて、入不二さんとのインタビューが終わって、音声を編集しようとしたところ、声と声の間の無音であるはずの区間に、微かな背景音が残されていた。入不二さんの自宅近くの学校では、運動会の予行演習が開催されていて、遠くで響く「今、最後の追い上げです」という放送部の実況のようだった。ここ数年来、私たちの日常は、季節感も時間感覚もぼんやりしたままだ。そんな中でも地球は回って、季節はめぐっている。 秋空を見上げれば、高く見える。地球に接近する隕石の軌道は、天文学者が観測してくれている。そして哲学者入不二は、人間の概念の動きを見つめて、哲学している。こうして、私たちの暮らしと自由は安全に保たれ、また明日からの生活を前に、安心して眠ることができるのだ。 インタビュー ※音声の書き起こしを読みやすくするため、加筆修正をしております。 誕生日の問題 田中:改めまして田中です。本日はビッグ・ゲストです。入不二基義先生に来て頂いております。よろしくお願い致します。 入不二:よろしくお願いします。 田中:お時間頂いて本当にありがとうございます。 入不二:こちらこそ、よろしくお願いします。 田中:入不二先生は色々な書籍をお出しになっていらっしゃるのでご存知の方は多いと思うのですが、最初にご経歴を簡単にご紹介させて頂きます。 1958年11月11日、神奈川県のお生まれです。東京大学大学院人文科学研究科博士課程を単位取得満期退学された後、山口大学助教授を経て、現在、青山学院大学教育人間科学部心理学科教授をされていらっしゃいます。主に「私」論・相対主義論・時間論・運命論等を題材に哲学をしていらっしゃいます。珍しい趣味としては、51歳でレスリングを始められて、一年後の52歳で試合デビューも果たしておられます。2020年に筑摩書房より『現実性の問題』という哲学書を上梓されていらっしゃいます。 まず、11月11日生まれということの大事なポイントですね。ここを外さないで下さいと言われて、今、緊張しながら読み上げました。11月11日生まれというのは何かポイントがあるのでしょうか。 入不二:見たまんまなんですけど、1111ですから、ゾロ目になっていて。誕生日って自分のものすごく小さい頃からついて回っていて、自己紹介も含めて。1の並びだっていうのをすごく意識して育ってきたので。蠍座好きですし、しかも蠍座の中でも1のゾロ目だっていうので、何か自分の出自がそこにあるかのような幻想を小さい頃からもっている。それがこだわりということです。 田中:省かれると「入れて欲しい」と仰ると(笑)。 入不二:「入れて欲しい」つながりですが、11月11日への拘りは、幼児の頃からということですけど、普通プロフィールでは出身大学を書くことになっていて、出身高校って字数のこともあって、省略することも多いですよね。でも、この歳になると卒業した大学より高校の方に愛着が出てくるんですよ。遡って、中学校とか小学校も含めて。大学どこどこ卒よりも、高校を入れておきたい、みたいな。私、神奈川県の湘南高校というところの卒業なのですけど、まあ、歳を取ったせいだと思うのですけどね。高校以前にプロフィール的な意識が向かうっていうのは。 田中:私は九州出身ですけど、神奈川県と東京都は近い感じがあって、住んでいる人はどちらにも愛着があって、神奈川県をフォーカスするのはあまり違いがないように思ってしまったのですが、そこは全然違うのですね。 入不二:高校の雰囲気という点では、全然違うでしょうね。神奈川県の県立高校で、藤沢の方にあるわけですけど、やっぱり田舎の高校なのですよ。東京都内の高校と比べれば。隣ではあっても、地方の公立高校という色彩が強いのだと思います。 田中:どんな高校だったのですか? 入不二:当時は、東大に70名ほど合格するくらいの進学校だったのですが、公立高校だということもあって、大学受験という縛りを忘れているような素振りをしているところがある。自分たちは勉強だけの優等生じゃないよ、と誇示したいかのような。運動だとか部活も十分やっているし、体育祭も物凄く時間をかけてやって、青春を謳歌していますと言いたげな高校でした。それってある種の自己欺瞞でもあるわけですが、優等生特有の微笑ましいものです。私は残念ながらその仲間に入れなかったのですが、でも高校生としては、そういう振りは健全なものだと思います。そういう、「文武両道」の高校でした。 田中:何か部活とかされていらっしゃったのですか? 入不二:私、文芸部の部長をやっていて。さっきのレスリングの紹介とは対極で、高校時代に運動部の経験は全...
Oct 11, 2021
1 hr 9 min
闇を浮遊する視点から物語を紡ぐ
(インタビュー◎2020年8月5日テレビ会議にて Music: Korehiko Kazama) 清水将吾さんは、大学講師として働く傍ら、東京を中心とした様々な場所で哲学カフェの進行役を務めている。「傍ら…」といっても、清水さんの場合、一方が本業で一方が副業というわけではなさそうだ。「哲学的な謎について人と対話する」ことを中心に据えて、国や分野の境を越えて学びの場を選び、仕事や依頼を受け続けてきた。そして今年の夏、一冊の哲学ファンタジーが上梓された。タイトルは『大いなる夜の物語』。41の謎で構成され、新社会人の登場人物の視点を借りて展開する。清水さんが20代の頃に考え始めた謎も含まれるが、数年前に一冊の物語にしようと決めてからは、「神話の力を借りてスルスルと書き進めることができた」という。 この物語は一風変わっている。一般的な物語では、主人公や書き手の視点という一定の場所から、様々な時空間で起きたことを理解して読み進めることができる。一方『大いなる夜の物語』では、この視点が動くのだ。動くのは時間や空間だけではない。主人公から登場人物へ、その登場人物から書き手へ、さらに地球から宇宙へ、オリオン座の裏側に行ったかと思うとまた物語の主人公の視点に戻ってきたりもする。 幼少期の清水少年は、シンガポールやアメリカや日本を行き来しつつ、『少年ジャンプ』で日本の漫画文化に慣れ親しんで育った。その後、日本の大学院を修了してからはイギリスに渡り、そのまま哲学の学位を取得する。人生の3分の1は日本語圏外の国で暮らしてきたことになる。清水少年の視点は、空間的に大きく移動してきたが、清水将吾という一人の人としての視点は変わらない。このことが物語の中心的な哲学的な謎にも繋がっている。視点という「儚い点」が存在すること、そしてそれが今日も明日も持続していること、これは一体、どういうことなのか。 清水さんの哲学者としての原点となるこの謎は、物語の中で視点の動きとして現れている。縦横無尽に動くその描写で、軽い目眩すら覚えるほど。 こうした描写と既存の文学的・物語的表現の共通性を探るため、川端康成の『雪国』冒頭の英訳や、隕石落下について国立科学博物館が伝えるプレスリリースを清水さんに朗読して頂いた。 任意の動く点を名もない誰かの視点として物語を始められる日本語表現に対して、英語表現は、ユークリッド空間上で “I” や “You” や “the train”として人や物の位置を指差しながら展開する箱のようでもある。『雪国』や隕石落下を伝える日本語表現は、実に巧妙に、しかし極めて自然に、任意の視点を世界の開けとして導入して、動かすことができる。その誰かの視点を通して、変わる風景や、移動する列車、隕石の形や色を、私の目の前にあるものとして感じることができる。 ひょっとしたら清水さんの哲学的な謎は、清水さんが様々な境界を移動する過程で託された、隕石の破片でもあるのかもしれない。その正体の解明は、物語の執筆を通して、読者とともに進められている。   インタビュー 誰かの視点を借りて体験する   田中:改めまして田中です。本日は最近本を出された『大いなる夜の物語』という本を出された清水将吾さんをお迎えしております。この哲楽ラジオですけど、だいぶ前回の収録から時間が空いてしまって、その間色々と別の活動していたのですけれど、この本を読ませて頂いてこれはちょっと再開せねばと思いまして、今日オンライン会議でご招待させていただきました。清水さん、今日はよろしくお願いします。 清水:清水です。よろしくお願い致します。 田中:最初に清水さんがどういう方なのかご紹介したいと思います。イギリスのウォーリック大学哲学科で博士号を取得された後日本大学研究員、東京大学特任助教それらのお仕事を経て、立教大学兼任講師を務めていらっしゃいます。他に目黒の哲学カフェで毎月進行役として哲学カフェを開催されていらっしゃったり、NPO法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」という団体があるんですが、そちらで子供のための哲学のイベントを不定期で開催されていらっしゃいます。こちらのイベントなどは、最近ではオンラインで開催されていらっしゃるということですが、大学に限らず大学の内外、色々な場所で哲学対話の進行役を務めていらっしゃいます。ということで清水さん、今日はよろしくお願いします。 清水:よろしくお願いします。楽しみにしていました。 田中:『大いなる夜の物語』自体はどのくらいの構想に関わる時間をかけて書かれたのでしょうか。 清水:こういうお話をちびちび書き始めたのはもう随分前でもうかれこれ20年前ぐらいからいろんなものを書き溜めていたんですね。それで書き溜めて、書き溜めていって、大きなものを一つにまとめて書こうとは全然思ってなかったんですけど、東大時代にお世話になっていた小林康夫先生という方が「もっと書いてごらんよ、百書いてごらんよ」って仰ったんですね。「この調子で百個にしてみなよ」って。数十はあったんですけど、百書いてごらんよって言われて、百書いていくうちに、あ、ちょっと本を書いてみたいなっていう気持ちが出てきて。そういう細かいお話をいろいろつなげて大きなお話にするってことやってみたいなと思って。そうするうちに編集者の方と出会ったり永井均先生に応援して頂いたり色々あって。それで物語を大きく作り始めると、なんだか神話の力を借りて、という感じの言葉がふさわしいですかね。神話ってやっぱりすごいんだなと。神話のモチーフが色々出てきますけど、そういうものを使うとスルスルスルスル繋がっていってしまって、あ、できちゃったなっていう感じですね。大きな物語を書いていたこと自体はだいたい2年ぐらいです。 田中:今「百個書いてごらんよ」と、数字の話が出てきましたが、41の謎から構成されていて最初の1番目の謎42番目として戻ってくるような形になっているちょっと不思議な構成を体験できる本ですよね。私自身もこんなに謎のバリエーションを清水さんがお持ちだったということは、清水さんご自身のことは長く存じ上げていたのですが、謎のバリエーションについては、この本で初めて知ったところで、とても新鮮に読ませて頂きました。 清水:ありがとうございます。 田中:社会人になりたての二人の視点で物語が書かれているのも今から社会に出て行く人達にとっては共感を持って読んで頂けるんじゃないかなと思うんです。清水さんご自身が二十代前半ぐらいの年にお持ちだった謎も含まれているのでしょうか。 清水:そうですね、たくさん含まれていますね。ちょうどこういうお話を書き始めたのが自分が二十代前半の頃ですからね。そういう頃に得たヒントとか話の種みたいなのがすごく含まれています。 田中:足掛けもう10年から20年ぐらいこの謎は温めていらっしゃったっていう感じですね。 清水:本当にまさにそうです。 田中:謎のバリエーションもそうなのですけれど、ちょっと特徴的というか印象的だったのが、視点がいろいろ変わるところで。主人公視点のことをPoint of View、POVと言ったりすると思います。最近だったら、youtuberとか動画制作をしている方もPOVは気にする言葉みたいです。 清水:あ、そうなんですか。 田中:映像を撮る時の視点をどうとるのか。主人公視点で撮るのか、あるいは空間にxyz方向の次元があるとして、その中の視点で撮るのか。X軸方向、横に移動するような風景を眺める動きを「パン」。縦に高い建物を見上げたりとか木を上から見下ろしたりとかそういうY軸方向縦軸軸方向の動きを「チルト」って言うらしいのです。Z軸方向は奥行きを回転させるような動きを「ロール」って言ったりするみたいで。 清水:へ〜。 田中:最近私も動画制作の勉強し始めて、そういう言葉を耳にしていたところで、清水さんの小説を読ませて頂いて、すごく映像的に想像しやすくて。この本読んで色んな映像制作をされている方は、どういう風に映像化するんだろうということにすごく興味が湧いたところで。視点と空間の使い方が今までにない感じがしました。 清水:嬉しい、感動的です。喋っていいんですかねこれ。 田中:はい、どうぞ。 清水:そういう映像的な…自分が割と少年ジャンプとか、そういうのを読んで育ってきて、のめり込んで育...
Aug 11, 2020
49 min
手話で因果論を解体する
(インタビュー◎2016年11月11日 シルバード洋菓子店にて Music: Korehiko Kazama) 高山守さんは、東京大学で哲学を教えていた。2013年に同大を定年退職した後、社会活動への関心もあり地元の手話講習会に通い始めた。 生まれは東京の江戸川区小岩。高校時代の倫理の授業では、教員に敵対心を抱かせるほど「物事の根本を掴まなければ気がすまない」性分だったというう。「なぜ生きるのか」の答えを求めるためキリスト教にも強い関心を持った高山青年は、商社マンになるという未来を思い描きつつも、哲学の道に舵を切る。東大の学部生当時全盛だったドイツ哲学の中でも、カントを精読するも、実存的な問いかけに対する満足のいく議論を見い出すことはできなかった。博士課程で後に40年近くかけて取り組むことになるヘーゲルに出会い、これだとのめり込んだ。 東京大学を定年するまでテーマにしていたのは、自由と因果をめぐる問題だ。世界には、「自然法則による因果性だけでなく、自由による因果性もある」のか、「自由は存在せず、すべてが自然法則によって起こる」のか。この二つの命題の対立は、『純粋理性批判』でカントが論じた第3アンチノミーとして知られるが、そこからヘーゲルを経て、高山さんは、因果論そのものを解体しながら人間の自由のあり方を記述する道を追い求めてきた。高山さんは、一貫して、原因と結果のつながりによって世界を因果的に了解することは間違っていると考えている。2010年と2013年に出された2冊の著作に因果の解体と自由のあり方の議論を収め、定年後は、しばらくアカデミックな哲学の世界からは遠ざかろうと考えて、ただの「ジジイ」として手話を習い始めた。ところが、過去とはしばらく別れるつもりだった手話の世界で、因果解体論を裏づける表現を見つけてしまった。「世界の因果的な了解は音声言語の認識の枠内にあり、そしてそれは間違っている。一方で自由な行為の一つ一つが自分という人間を形作る」。68歳になった今、高山さんは手話講習会の上級コースに通いながら、そう考えている。物理学者の中には、こうした問題領域がおよそ理解できず、論難に終始する人もいるが、高山さんの研究は進んでいる。 この冬、日本手話学会で「手話言語と因果表現」というテーマで発表する。手話言語を用いたアプローチ自体、哲学史上稀に見る試みで、これから踏み出される高山さんの第一歩は、月面に初めて降り立ったアームストロングのそれと重なる。何せ、音声言語の形式による認識の限界によって生み出された哲学上の大問題が、手話の力で瓦解するかもしれないからだ。 昨年度、国の研究費の不採用通知を受けた高山さんは、「大風呂敷を広げ過ぎて、支離滅裂な思い込みをしているだけかもしれない」と笑っている。音声言語話者である研究者たちが、その限界に目を向けて、高山さんの研究を見守ることができるのか。それが問題だ。   インタビューは「哲学者に会いにゆこう 2」でお読み頂けます。
Aug 25, 2017
36 min
第2回現代哲学ラボ音源公開!永井均の哲学の賑やかさと密やかさ
インタビュー 2015年7月25日 ホテル&レジデンス六本木ニシロクラボにて ゲスト:永井均 聞き手:森岡正博 進行:田中さをり Music: 風間コレヒコ、紀々   田中:本日は、第二回現代哲学ラボを、ホテル&レジデンス六本木にて公開インタビュー形式でお届けしてまいります。全編を通して、ぷねうま舎のご提供でお届けいたします。冒頭の音楽は風間コレヒコで「Body and Nobody」、たくさんの方々に支えていただいて、こんな素敵な場所で、こんな素敵な音楽とともに、公開収録をお届けできるまでになりました。お集まり頂いたみなさま、ありがとうございます。本日のゲストは永井均さんをお迎えしておりまして、インタビュアーは森岡正博さんにお務め頂きます。それではさっそくお迎えしましょう。大きな拍手でお願いします。   永井均氏との出会い 森岡:森岡です。公開インタビューということで、永井さんとのトークを始めたいと思います。みなさん、もちろん永井さんのことは十分ご存知だと思いますけれども、まず、私の目から見て永井さんの簡単なご紹介をしたあとで、二冊、最近御本を出されていますけれども、その中から最近私が気になったことを中心にいろいろお聞きしたり、ちょっと疑問を呈したりというような感じで、いろんなところから永井さんの考えていることを探っていきたいと思います。 まず、永井さんと私の出会いというのは実はかなり古くて、もう実はあんまり覚えていないんですが、確か一九八〇年代ですよね。私がまだ大学院生だったんじゃないかと思いますが、ちょうどその時に永井さんが、あれは慶応の紀要の論文でしょうかね、大学紀要と学会誌にも論文を書かれていて。それがいわゆる永井のキーワードになった〈私〉……。これは何と読めば、山鍵ですか?   永井:山括弧(やまかっこ)ですね。   森岡:山括弧ですか。〈私〉(やまかっこのわたし)についての論文があって、それがたまたま研究室にあったので読んで、衝撃を受けたんですよ。何かちょうどその時、私も似たようなことをずっと考えていて。その時に、似たようなことをもうすでに考えて論文にしている人がいる、というのですごく驚いて。それでどこかでお会いしてちょっとお話をしたと思いますが、何を話したか、私の方からはまったく覚えていません。何か覚えていますか?   永井:覚えていないですね。会ったことは覚えていて、確か東大の近くですね。   森岡:東大の赤門の前で待ち合わせた気がするんですけどね。   永井:あのあたりで喋ったことは(覚えていますが)、中身は全然覚えていないですね。   森岡:ねえ、全然覚えていないですね。おかしいですね。そのとき私、こっちから本当に会いたいなと思ってお会いした。その頃は永井さん、まったく無名ですからね。そのあと本を出されて、「〈私〉のメタフィジックス」[1]というのが八六年ですかね。勁草書房から出されて。それで注目を浴びたんですが、ちょうどその二年後に私も同じ勁草書房から、「生命学への招待」[2]という、生命倫理の本を出した、というような感じになっていますね。そのあとはみなさんご存知の通りなんです。私が永井さんの書いたものを読んでいるといつも思うんですが、問題意識がすごく首尾一貫しているなと思って。一つのところに食いついたら離れないというね。それは本当に哲学者っぽいなあという感じがしています。   普遍化できないはずの〈私〉の問題 森岡:問題意識は何なのか、一言で言えいわれるとなかなか言えないんでが、感覚的に言うと、「決して普遍化できないはずのもの」というのが実は普遍化によって成立する。言語によってある意味で示されているけれども、そのままズバリを言語で追い求めていこうとすると必ず失敗していくとか、空回りしていくとか、別のものに読み替えられていくというような、そういう仕組みをあらゆる角度から追求したい、というのが中心にある問題意識かなと、私はそう理解しているんです。だから決して普遍化できないっていうものの代表選手みたいなものが〈私〉だと思うんですよ。 このあたりの話は、お聞きになっている方もだいたいは、ぼんやりとは少なくともご存知だと思います。〈私〉というものってみんな自分のことを私と言うんだけれど、よく考えてみると宇宙の中でこの〈私〉だけが独特の形で存在しているような〈私〉、みたいなことを言いたくなるじゃないですか。でもそれを言語で言おうとする瞬間に全部それが失敗していくという、すごく面白いことになっている。というのを綺麗に解釈して論理構築したというのが、永井さんのやっぱりすごいところかなと思います。 ただ、ちょっとお聞きしたいのは、今、普遍化できないはずのものを、普遍化を宿命とする言語を使って表現する時に云々という話をしましたが、それって別に〈私〉だけじゃないですよね。〈今〉っていうのがそうだし、〈ここ〉っていうのがそうだし、あと〈現実〉とかいうのもそうかもしれないですけれども。永井さんは最初の本では〈私〉というところに注目したじゃないですか。これ、何か順序あるんですか。〈私〉というのが何か初っ端(しょっぱな)にあって、それでよく考えたら〈今〉もそうだな、とかね、〈ここ〉っていうのも似ているな、という話になっているのか。それとも〈私・今・ここ・現実〉何とかというのを一気にどかんと、同じ問題として出てきたのか。どっちなんですか? 永井:時間的な順番としては一気にじゃなくて。〈私〉ということ、自分のことから考えてこの問題に行き着いて、それであとから考えたら、これは〈私〉だけじゃなくて、同じ構造は〈今〉とか〈現実〉とかそういうものにもあると。〈ここ〉っていうのは体の関係ですから、〈私〉がいる場所が〈ここ〉と考える、「〈私〉のいる場所」と定義するとすれば〈私〉と同じになりますけれどね。〈今〉は〈私〉とは独立だと考えられるので、そういう意味では独立なものと独立でないものがあって、その意味では……。でもこれはあれですね、〈私〉と〈今〉と〈現実〉の三つしかないですね。   森岡:その三つが……。   永井:なぜ三つなのかということ自体が謎なんですけれども。なぜ三つもあるのか、ということと、三つしかない。これが謎で、誰かが解明したら大したものだと思います。僕はわからないですね。なぜかそうなっていると。   森岡:もう一つはね、それにも関わらず〈私〉が最初に問いとして現れてきたのか、というのも謎ですよね。   永井:そうですね。   森岡:たまたまなのか……。   永井:たまたまってことはありますよね。なぜかというと〈今〉についてその問題を出した人はいて……。   森岡:昔からいますよね。   永井:解釈によればアウグスティヌス[3]やなんかもそうですし、それからマクタガード[4]もそうだし、いろんな人に(その問題は)あるけど、〈今〉についてだけ出したって人もいますし、マクタガードは〈今〉についてだけ出したと思いますし。それから現実世界ということに関しては逆の問題がありますよね。つまり現実世界ってこれだから独在するのは決まっていると思うのに対して、デイヴィッド・ルイス[5]という人がそれと逆のことを言って、どの可能世界もその世界にとって現実なだけで、この世界もただ我々が住んでいるからこれが現実だと思うだけだ、という形で。むしろ独在性の逆の形で。この現実世界というものに関してはふつう独在的に誰でも考えているわけですね。これしか現実世界はないと思っているんですけれど。そうじゃなくて、いかなる可能世界も、その世界にとって現実という形、誰もがみんな私であるのと同じような形で、その可能世界にとって現実世界であって、この世界もまたそうなんだと、いうふうに逆の問題を定義した人がいますから。そう考えますと問題は独立に存在しているんですが、そのつながりはまだあまり、誰もはっきり言ってないんじゃないかな、と思います。  
Feb 15, 2016
1 hr 5 min
芙蓉の花と存在の一義性
(インタビュー◎2015年10月5日 慶応義塾大学にて Music: Korehiko Kazama)             山内志朗さんは、慶應義塾大学で哲学を教えている。生まれは山形県。奈良時代に始まったとされる山岳宗教に修験道があるが、その行者である山伏たちが修行した山々のふもとに育った。山中で厳しい修行を行う山伏は明治期に廃業を余儀なくされ、今では体験修行しかできないものの、山内さんの3代前の祖先までは山伏だったため、幼い頃からスピリチュアルなものに関心があったという。 催眠術や心理学にも関心を寄せていた山内少年は、中学時代に深夜のラジオ番組を通してキリスト教に触れる機会を得る。番組が提供していた通信講座で初めて聖書を手にして以来、ニーチェやキルケゴール、フロイト、さらにはカントまで書物の山々を渡り歩いた。そうして、東京大学文学部哲学科に進学することになる。 安保闘争時代、山内さんが東大に入学した76年はまだ学生運動も活発で、同級生たちはフーコーのブルジョア気質を皮肉り、哲学思想について熱弁をふるっていた。一方で、山形で聖書と近代哲学を行き来してきた山内青年は、ハイデガーの代表作の『存在と時間』を一字一句書き取りながら独学を開始する。当時すでに時代の寵児であった廣松渉の講義で、ようやくその哲学を理解することができたという。 さらにその後、恩師の坂部恵を通してライプニッツに出会い、その「謎めいた」魅力に取り憑かれ、ドイツ語からラテン語・ギリシャ語の古典語学習に時間を費やした。山内さんが35歳で出版した中世哲学の入門書『普遍論争』が文庫化されたときに、坂部はこんな解説を寄せている。 トマス・クーンやフーコーなどのパラダイム・思考図式の転換を説く断続史観を紹介し論ずるひとは多くても、そうした方法を哲学史・思想史に実地にまで応用する仕事は、わが国ではきわめてすくない。山内氏の仕事がそうした稀の事例のひとつであることをここで控えめな著者に代わって言い添えておくのも無駄ではないだろう。( 『普遍論争—近代の潮流としての』平凡社・2008年:p.321より) 一読しただけでは、師が教え子の本に寄せた文章とはわかない。まるで昔からの同志が捧げたような解説を携え、山内さんのデビュー作は文庫化された。 新潟大学での勤務を経て、2007年に山内さんは約20年ぶりに再び東京に戻ってきた。山内さんが働く慶應の三田キャンパスは、東京の真ん中にあるとは思えないほど、穏やかな空気が流れていて、インタビュー当日には、ふわりとした可憐な花びらが印象的な桃色の花が咲いていた。 撮影のためにこの花の前に立って頂くと、花の名が「芙蓉」であること、さだまさしがかつてこの花を歌詞にして歌っていたこと、「ふよう」という言葉の響きが花の印象に合っていることを、鼻歌まじりに語りながら、山内さんは笑っていた。実際には、女子校の校長先生でもあり、新しい倫理学の本が出版されたばかりで、笑えないほど忙しいはずなのに。 中世の哲学者スコトゥスが扱っていた「存在の一義性」という問題を「思い込み」で読み解こうと、山内さんは一人でまたもこの険しい迷宮に入り込んでいた。その思い込みとは、「小さいものの存在意義、個体性を重視するはずだと。それと神様との結びつきを考える一義性のはず」というものだった。 山内さんに見えている、神様とさえも結びつけられる「小さいもの」は、例えば芙蓉の花かもしれないし、その花びらを揺らす風かもしれない。恐らくいつでもどんなときでもその「小さいもの」を身近に感じていられるからこそ、中世の羊皮紙に刻まれた呪文のような言葉からも、それを大事に掘り起こすことができるのかもしれない。アラビア語・ラテン語・日本語の古語でも確かめられると、その「小さいもの」は山内さんの山形弁アクセントの穏やかな声で語られた。その声には、自分がどのような佇まいでこの世界に存在し続けたらよいのか、幼少期から考え続けてきた時間がそのまま響いていた。     インタビュー ルーツは山伏   ——ご専門の中世哲学のほか、中世哲学の視点から見る現代思想・現代社会論・コミュニケーション論・身体論……公開されている情報で、この辺りまでは分かるのですが、修験道・サブカルチャー・ミイラ・占い・アロマセラピーなども研究分野ということで、後半のお話もせひお伺いできればと思っています。まずどのような幼少期を過ごされて、最初の哲学的な疑問がどんなものだったのかというところからお聞かせいただけますか。   はい。最初に私がどういうところに生まれたのかをお話しした方が良いと思います。東北の山形県の真ん中に出羽三山というのがありまして、月山、湯殿山、羽黒山という三つの山から構成されているのですが、そこは修験道で有名な山なんですね。   その中で湯殿山というのがありまして、そこには即身仏、ミイラが有名でして。日本に20数体あるんですが、そのうちの過半数が湯殿山で修行された方です。さらにまた私の先祖が三代前まで湯殿山の先達、簡単に言うと山伏なんですが、それをやっておりまして。明治のときに廃仏毀釈によって廃業いたしまして。そういう歴史がありまして、子どもの頃からそういったものを研究したいなという気持ちはありました。   ——後半のご専門は、中世哲学の流れでご関心をおもちになったのかと思ったのですが、むしろそこがルーツだったのですね。   そうですね、小学生のころにそういったお寺の近くに小学校がありまして、その住職達のお墓は誰もお参りしなかったんですが、そういうのを見て、昔は栄えていたのになぜ今こんなに廃れたのか、それを研究したいという気持ちをもちまして。見捨てられたものを見ると研究したくなるんです。中世哲学についても同じです。哲学に踏み込んで行くようになるのは、ちょっと遠回りしました。小学生の頃、催眠術に興味をもちまして、同級生にかけたりしていたんですが。それと同時に心理学に関心をもちまして、それで心理学を勉強しようと思いまして、最初に読んだのがフロイトだったんですね。『精神分析入門』とか読みまして。心理学に関心をもとうと思ったんですが、心理学をやるまえには哲学をやっておいた方がいいと。   ——なるほど。   そんなことが心理学の本にありまして。浅野八郎さんの『心理学入門』でしたかね。哲学をやろうかなというので手に入れたのがキルケゴールとニーチェだったんですが。   ——おいくつぐらいの時ですか?   中学2年生ですかね。   ラジオ通信講座でキリスト教を学ぶ   そういう哲学書を読むとキリスト教のことが前提になっているので、これはキリスト教を勉強しなきゃいけないと。ところが山の中ですから、クリスマスはあったのですが、クリスマス以外にはキリスト教と全然縁がないような生活だったので、仕方ないのでラジオで「世の光」とかいうキリスト教の番組があったので、それを聴き始めました。通信講座がありましたので、聖書の通信講座を受講しまして、本屋も近くになかったので、そこから聖書を買って読み始めました。   ——お家の方は先祖代々、山伏をされていて、キリスト教とは関係がなかったと思うのですけれど、どちらかというと神道に近い?   もともとは仏教の真言宗と神道が混ざって修験道が成立していますので。全くキリスト教とは縁がなかったんですが。なぜか偶然なんでしょうね。キリスト教に関心をもって。   ——お母様はびっくりされたんじゃないですか、どうなっちゃったんだって。   兄弟がいっぱいいますから。4人兄弟の末っ子ですから、一人ぐらい変わったのが いてもいいんじゃないかと、おおらかに見ておりましたね。  
Feb 2, 2016
1 hr 10 min
不随意な身体のリアリティ
(インタビュー◎2015年7月25日 ホテル&レジデンス六本木にて Music: Korehiko Kazama) 森岡正博さんは、早稲田大学で哲学を教えている。2015年の春、27年ぶりに関西から関東に戻ってきたばかりだ。7月最後の土曜、首都高速が頭上を走る通りに面した都内のホテルで開催された「現代哲学ラボ」で、話を伺った。 森岡さんの生まれ故郷は高知県。小学生のときに「死んだらどうなるんだろう」という問いに取り憑かれて以来、「強制的に哲学者にならされてしまった」という。その問いを抱えたまま、東京大学に進学。物理学や数学でこの問いの答えを見つけようとしたものの、期待していたものは得られず、哲学に転向した。大学院でヴィトゲンシュタインの分析哲学に出会ったときに「まさにこれだ」と感じてのめり込んだ。一方で、理系と文系の間を行き来したことから、科学技術の問題についても考えるようになり、「自分を棚上げしない」パラダイムを立ち上げようと奔走した。 時は1980年代。その頃に登場した生命倫理学という学問分野では、脳死の問題が扱われていたものの、自分たちが倫理の問題を生み出しているという意識が欠落していることに疑問を感じ、何か別の形が必要なのではないかと森岡さんは感じたのだ。1988年、その思いが最初の本『生命学への招待―バイオエシックスを超えて』に結実する。さらに京都で就職してから数年後の1994年、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの論客たちとの対談本『電脳福祉論』を出版する。 あらゆる技術が身体障害者や高齢者と接続するに従って、そうした人々が文明の最先端に立つことになるのではないか。そんな見通しを、5人の論客たちにぶつけたのだ。最後に橋爪大三郎氏と対談したとき、森岡さんはある素朴な未来予想をぶつける。「これから先、人間と機械が接続されるようになると、複数の人々がひとつの大きな身体を共有するようになるのではないか」と。複数の人々が大きなクレーンを同時に操縦する思考実験で、この直観を表現してみたものの、橋爪氏は否定する。それは「随意運動」に対する「麻痺」が起こっている状況であり、「身体の共有」ではありえないと。 森岡さんはここでもまだ自分の直観を捨てきれず、複数の人々の身体が一台の車に接続され、エネルギーを供給しながら走る思考実験を出してみる。それに対しても橋爪氏は、それは「我々が太陽に依存しているのと同じで、身体の共有化ではない」と否定する。 森岡さんは、ある程度は自分の意志に従って動くクレーンを使っているうちに自分の脳に条件づけがほどこされるようになり、そうして複数の人間の身体像が形成されれば、身体が共有されたことになるはずだ、と最後まで粘った。 再び2015年7月。20年が経って改めて振り返ってみると、「随意運動―麻痺」という考え方は、身体のある一面しか捉えきれていないのではないかと思えた。身体の不随意な部分であっても、内臓感覚や、五感で感じる知覚なども、身体の別の側面として浮かび上がってくることに、当時から興味があった。しかしそれは個人的な興味を超えて、次の予測につながる。そうした不随意の側面をもった身体が機械を通して複数の人々と接続されると、自分の身体が拡張されるだけでなく、心も拡張され、ひいては他人の心が自分の心に入ってくるように感じられるのではないか。 森岡さんにはさらに、もう一つ気になることがある。ブレイン・マシン・インターフェースで他人の脳と自分の脳が接続されたら、「他人という存在が本当に存在するのか」という懐疑が生まれるはず。一方で100%他人のことがわかるようになったら、そのとき私は、私自身のことを誰だと思うのだろう。 私と他者をめぐる逆向きの懐疑がこれから生じるのではないか。そんなさらなる予測が、「身体の共有化」という予測を打ち出した延長線上の森岡さんの心に生じている。哲学者の思考実験というものは、妄想でもあり、未来予想でもあり、さらには予言でもありうる。森岡さんのこれらの「予測」がこのうちのどれに当たるのかは、まだわからない。しかし、一つだけ言えることがある。 死を想起し続けた自身の問題と、我々が生み出す社会の問題という二つの問題に対して、同時にリアリティを感じてしまう。森岡正博さんはそんな希有な哲学者だということだ。その境地で、読者の直感を執拗に揺さぶり続けてきたことで、未来を見通すための目を鋭くした。そんな気がしてならない。 インタビュー 「現代哲学ラボ」という試み   森岡:私、大学は東京だったんですが、30歳の時に就職で関西に行って、それから27年ずっと関西にいたんですよね。関西は非常に濃いところで、色々な仲間もできて面白かったですね。非常に久しぶりに東京に戻って来て、何かやりたいと思いました。東京は人口も多いし、自分の頭で哲学をしている人たちが自由に集まれる場所を作りたいと思いまして、それで田中さをりさんに「何かやろうよ」というふうに声をかけました。それで意気投合して。ちょうど田中さんと私の共通の知り合いに永井均さんと、入不二基義さんというオリジナルな哲学者が東京におられますので、彼らに「一緒にやろう」と声をかけて、それでを立ち上げたと、そんな感じですね。   ——「自分の頭で考える哲学」に何か思い入れがおありなんでしょうか。   森岡:そうですね。私、若い時から、ずっとそう思っていたんですけど。哲学って自分で自分の問題を考えるんでしょうと。私が東大の文学部に入った時は、大学ではむしろそういうことはやっちゃいけない雰囲気があって、「まずカントやハイデガーを読みなさい」みたいなのがあって。私はすごく反発して大学時代を過ごしていたというのがあって。今となっては、先生がそういうことを言う理由は、自分が先生になるとわかりますけど。わかるけど、何だろうな。哲学に中心的なやり方というのは車に右と左の両輪があるのと同じで、左は過去の物から学ぶ、右は自分の頭で考える。その二つがそろって初めてちゃんとした哲学だろうと思うんです。やっぱり、日本の今のアカデミズムや大学の哲学教育はまだまだ過去のものに中心を置きすぎているような気がやっぱりするんで。   ——そこはバランスの問題だと思われますか。   森岡:今はそう思っていますね。バランスの問題で、それが一番良いんじゃないでしょうかね。   ——例えば高校生で、自己の問題に興味を持っていますという方が、相談に来たとしたら、どうアドバイスされますか?   森岡:それはまず「どういう問題ですか」と。「あなたが今、心にある問題は?」って。そこから始めるでしょうね。   ——それで関連する文献も紹介されますか?   森岡:それはそうなりますけれど。「最初は自分で全部考えたら」って言うと思います。自分で考えたらどうなるかっていうと、ぜったい行き詰まるんですよ。行き詰まったときに私のような先輩に聞くか、あるいは本に聞く。というのがいいじゃないかと思うんですよ。本を読んだり話を聞いていたりするとまた考えたくなるから、また自分の考えに戻っていって、また行き詰まるから。そういう右に行ったり左に行ったりというのが一番いいんじゃないかと思いますけどね。なので現代哲学ラボも、どっちかというと車の両輪の、自分の頭で考えて表現している人達と、交流したい。それはすでにやっている人もそうだし、これからやりたいと思っている人達が交流できる場が東京にあるべきだと思いますし、すでにあると思います、あちこちにね。それを総まとめするような場所を作りたいなと思います。あとは、最近海外の人とも、英語を使うと交流できるので、そっちも広げていきたいなと将来的には思っています。   ——「草食系男子」を世に出されたときも海外からのインタビューがあったとか。   森岡:かなりありましたね。あれが哲学かどうか知らないけど。やっぱり面白いこと言うと、世界の人達って興味持ちますよ。私も各国の人達からインタビューを受けてますけど、受けている話題というのは、ひとつは「脳死問題」ですね。これはかなり受けました。あとは「草食系男子」。この二つですね。やっぱり珍しいんですよ。こういう話で盛り上がっているのはなぜ?みたいなね。文化的な差異もあるけど、広い意味で——今日は入不二さんもおられますが——哲学についての面白い提言をしていくとそれはやっぱり興味を持たれると思いますよ。   ——まず場を作って、自分の頭で考える人達が若い人を中心に集まって。   森岡:あとベテランとね。ゆくゆくは高校生まで広げたいと思っていて。だってさ、高校生ぐらいのときって哲学的なことを考えたりする...
Jan 23, 2016
1 hr
音楽と哲学で生きる方向を見定める
風間コレヒコさんは、週の3日を障害者の自宅介助員として働き、残りの時間をミュージシャンとして活動している。高校時代に、地元の福岡で見たアンダーグラウンド・バンド「人間」のライブに衝撃を受け、直後に友人3人でバンドを結成。ノイズやパンクを織り込んだ音楽作りが、自分が初めて見つけた「夢中になれるもの」だった。 哲学との出会いは、高校卒業後に永井均氏の『〈子ども〉のための哲学』を手にした時に訪れる。「この本に書かれてあることが哲学なら、自分が小さい時からやってきたことと同じなのかもしれない」、そう考えると胸が躍った。本の内容と、小学校三年生の時に隣の席の松崎さんと話した不思議な会話が重なった。「他の人にとっての色の見え方は、確かめようがないはずだから、僕が赤と言っている色も、松崎さんにとっては青かもしれないよね」と言うと、松崎さんも「そうだね」と返したという。それからクラスの友達にも、青と赤をあべこべに呼ぶことを始めた。時々、間違って赤色を赤色と呼んでしまうと「え、風間にとっては青じゃないのかよ」と突っ込みを受けるほど、「風間君はちょっと変なやつ」という認識がクラスの中で共有されていた。通信簿には「風間君は哲学的なのは良いのですが、もう少し素直になりましょう」と書かれた。「哲学的」という言葉の意味が分からず、母に尋ねると、「あまのじゃくってことよ」との返答。その後、十数年経って初めて、永井氏の本で、自分の問いが哲学史上議論されてきたものだと知ったのだ。 その本を読み終わると、風間青年はすぐに福岡から千葉大に電話をかけた。「永井先生はいらっしゃいますか、ちょっと話をしてみたいんですけど」。そう言うと、電話越しの事務の女性は「では受験して下さい」と答えた。猛勉強でみごと千葉大に合格して、希望通りに永井ゼミに入ると、それから卒業までの4年間、言語哲学の世界に浸った。在籍中に「デラシネ」という3ピース・バンドも結成。アルバムをリリースするも、大学を卒業してから、仕事らしい仕事に就くことなく、アルバイトを転々とする。そんな時、音楽仲間から、障害者介助の仕事を紹介された。 ここでもまた、その面白さに急速にはまった。続けていて楽しい仕事は初めてだった。この仕事は、「頑張ってはいけない」仕事なのだと気がついたとき、自分の役割がわかった。自分が介助している人が赤信号を渡りたい、お酒を浴びるほど飲みたいと願ったら、一緒に間違いを犯すのが介助者の役割なのだと。重度障害者向けの福祉施設から出て、自由に生きたいと願う人々の生き方に寄り添うのは、飽くことなく刺激的だった。ライブの海外遠征で異文化の価値観の違いに触れたときと同じように毎日が新鮮だった。気がつくと、介助の仕事を始めて7年が経っていた。 そんなとき、「哲学」と「音楽」が不思議な形でリンクする体験をする。それまで楽譜でしか同一性を保てなかった音楽表現のなかで、演奏者個人のグルーヴ感が、コンピューターで正確に再現できるようになりつつあった。そのことと、哲学業界が言語論的転回を迎え、人の印象や観念の分析から、言葉の分析が哲学者の仕事として流行し始めたことがぴったり重なることに気がついたのだ。これこそ「現代の潮流」なのだと理解したことで、「それだったら」自分の音楽はコンピューターや言葉で再現できない表現を追求したいと思うようになった。 幼少期からの口ぐせ、「それだったら」。あまのじゃく精神がここでまた開花すると、月に一度の頻度で、ソロでのライブ活動を始めるようになった。「機械で再現できないのは、自分の身体そのものなのかも」。その直感を確かめるように、全国各地のライブハウスで、今もノイズ音を響かせている。 最後に「今度は哲学の話を書いて表現してみたい」と意気込みを語った風間さん。インタビューが終ると、言葉をつなげた。「あと、もう少し喋ってみたいんですけど」。穏やかなその声は、小学校の教室で、隣の席の松崎さんに向けられたものと同じだったのかもしれない。   インタビュー ※音声収録の後に加筆・編集していますので、podcastの内容と同一ではありません。 哲学界にノイズをぶちまける快感   ——先日、雑誌の主催で「哲楽ライブ」というイベントを行いました[i]。これは、生粋の哲学者と哲学科出身のミュージシャンが歌い、語るライブということで、哲学科を卒業した方々や、哲学を今まさに学んでいる方々が、ご友人や恋人を連れて来られるように企画しました。風間さんもそこで朗読と、永井均先生との対談と、ノイズのライブも披露してくださったので、その時の感想からお話いただきたいと思います。   風間:そうっすね、やっぱり対談に関してはあれでしたね、うまく説明できないなっていうか。話していて人に伝わっている時って、伝わってるなって感じが喋っていてわかるものなんですけど、あの時は、掴みきれない感じがずっとあって。音楽をやっていても一緒なんですけど、会場の空気みたいなのを掴めている時ってやっぱりやっていてわかるんですけど。普段は、あんまり話すことってないですから、あの時は、難しいもんだなっていうか(笑)。まあ自分の哲学的なアレが足りてないというのもあるんですけどね。   ——表現する難しさということですか?   風間:そうっすね。永井先生は直感的にずばって、誰にでもわかるような言葉で言えたりとか、そういうのがすごいなあと思って。やってみて、そのへんが勉強になりましたね(笑)。   ——普段のライブとどの辺が違っていました?   風間:ライブと全然違うっちゃあ違うんですけど。会場の空気を掴めてるかどうかみたいなところとかはすごく似てるなあと思いましたけど。うーん。まあちょっといっぱいいっぱいでしたね(笑)、あの時は。   ——対談のあとにもライブを控えていて。結構配線が大変な、仕掛けが大掛かりなものだったので、それがうまくいくかどうかっていうのも頭にありつつお話いただいていたと思うのですけれど。   風間:ちなみにリハの段階では一回もまだ配線がうまくいっていなくて、「まあなんとかなるっしょ」みたいな感じで、リハを終えてたんですけど、時間が残り5分ぐらいになってたじゃないですか。「音、出ないかもな」っていうのはちょっと思ってたけど。でも、ライブはライブですごく楽しかったですね。あの時って僕のライブで見る顔の人もちらほらいたけど、基本的にはやっぱ哲学関係の人だなあ、と。だから、普段ノイズとかにそんなにこう馴染んでないだろう人たちの前でノイズをまき散らすのって、ノイズのやりがいがあるっていうか(笑)。   ——怖いと思わなかったですか?   風間:いやぁ。普段はずっとライブハウスとかでやってるもんだから、逆にわかってる人の前でわかってることをやっちゃう面白くなさ、みたいなのがあって。哲学の世界もそうかもしれないですけど、音楽の世界もわりとやっぱり閉じてるんですよね。ライブハウスにくる人ってすごく限定されていて。企画もよく自分でやったりするんですけど、どうやったら普段来ない人たちを巻き込めるかみたいなことをよく考えているもんで、ライブハウスとかに集まってくるような人たちじゃない人たちがいるところでやれるってのは、すごく楽しかったですね。     ——私が後で聞いた話だと、哲学を音楽で、音楽的な文法というか表現の形態で表現する時に、「ノイズってすごく、考えてみればぴったりだったかもしれないですね」ということを言っていた人がいて。風間さんにお願いしてよかったなと(笑)、思っていました。   風間:普段はああいうのをいつもやっているわけじゃないですけど、何か音楽を演奏してくれっていう話になって、何がいいかなあと思って。普段やってるやつとかよりも、ノイズフィードバックのほうが何か、いいかなって思って。僕も何か、それはわかる気がするんです。   ——多分、聞いてくださっている方には、どんな感じのライブだったかイメージできないと思うのですが、どういう仕掛けだったのか、教えて頂けますか?   風間:あれはそうですね、一台だけフィードバックを起こしてて。フィードバックってのは、まずテレビにはビデオカメラで撮った映像が流れてるんですけど、でもそ...
Feb 17, 2015
53 min
なぜ子ども時代の問いを持ち続けられたのか
なぜ子ども時代の問いを持ち続けられたのか 永井均さんは日本大学で哲学を教えている。哲学好きな読者ならば知らない人はいない、現代の日本の哲学を牽引してきた哲学者の一人だ。34歳で『〈私〉のメタフィジックス』を上梓してから、平均して年に一冊の著作を発表し続けている。難解でとっつきにくいというのが哲学の一般的なイメージである日本国内で、このペースで新刊本が次々に書店に並べられる、作家としての哲学者は数少ない。過去には、朝日新聞や日本経済新聞でもその随筆が連載され、大学で高校生と保護者向けの説明会を開けば、愛読者も詰めかける。それが哲学者、永井均さんだ。 桜の新緑が眩しい4月のある日、編集部に永井さん自ら自転車で駆けつけて下さってインタビューが実現した。〈私〉の問題が最初に心に生じたのは、永井さんが5歳の時で、小学生の時の教室の風景が今でも記憶にあるという。「後ろから3番目で右から2番目の人が僕だな、それはなんでなんだ?」と考えたという。スペイン史が専門の歴史学者、岩谷十次郎さんが小学校一年から六年生まで担任の先生で、永井少年は後に哲学的大問題に発展するこの疑問を直接口にする事はなかったものの、他の突拍子もない発言に、岩谷先生は「なるほど」と頷き、「そう考えるのは偉いね」と誉めて下さった。その頃の永井少年は、ご両親から「消極的」と称され、お母様にひとつの課題を与えられた。それは、通りを行く知らない人に声をかけて道を尋ねるというもの。永井さんはこの時のことをこう振り返っている。「劣等感の過剰克服っていうのがあるじゃないですか。何か劣等なことを訓練すると逆にそれが得意になっちゃうことがたまにあって、そういう風な意味で妙に、大人しかったにもかかわらず、そのことをやたらにやっているうちに、むしろ、知らない人にも平気で話しかけるような人になっちゃうとかね。僕はね、性格的にはそういうところがあって、二重性があって、どっちが自分の本当の性格だかよくわかんない時があるんですね。それはそれによって開発されたかもしれない」 性格的な相対する二重性は永井さんの幼少期からのお人柄の特徴であり、それは哲学をするうえでは「複眼性」となって機能しているようだ。おそらく、いつでもどんな人にでも「なれる」からこそ、そのなり手の起源である「私」の方が哲学的謎だったのかもしれない。そのことを尋ねると、永井さんは頷き、少し考えて、「そうかもね、本来の人格がないっていうことなのかもね」と笑った。 インタビューのために自転車で編集部に到着するとすぐ、永井さんは新緑の桜が見える窓側で、編集部スタッフに瞑想の仕方を教えて下さった。目を閉じて、息をゆっくり吐きながら、ひとつずつ数えて、「鳥が鳴いているな、子どもの声が聞こえるな、と思ったらまた息に意識を集中させましょう」と。今、〈私〉の哲学は、坐禅や瞑想を経て、どこかに向かって哲学的に進化しているというよりは、それが生まれた場所へ帰る途中なのかもしれない。   インタビュー (写真・インタビュー:田中さをり) ――インタビューを始める前に一つお願いさせて頂いていたことがあります。『哲学の密かな闘い』という、ぷねうま舎から2013年に出された本の中から最初のページを少し朗読して頂きたいと思います。 永井:はい。「人間は動物ですから、生物学的な理由で生まれてきます。生物としての人間の一器官である脳は意識を生み出すので、脳があれば人間としての精神状態や心理状態が生まれます。ですから、世の中に人間がたくさんいて、多くの脳が意識を生み出していることは不思議ではありません。これは科学的に説明できる事態です。しかし、一つ不思議なことがあります。そのように意識をもつたくさんの人間のうちの一人が、なぜか私である、ということです。多くの人間がいて、様々な精神が存在するが、その中で私であるという特別な在り方をした人間はただ一人です。どうして、そんな例外的な在り方をしたやつが、一人だけ存在しているのでしょう。」 ――もう一つですね、約30年前に書かれた先生のデビュー作である『〈私〉のメタフィジックス』から朗読をお願いしたいと思います。 永井:「「他我問題」は通常つぎのような形で設定される。およそ私が体験しうる精神的・心理的諸状態は、すべて例外なく私自身のものであり、私が他者の精神的・心理的諸状態を体験することはありえない。私が他者について体験できるのは、外にあらわれた彼の身振り、表情、発声、発言といったものだけである。それゆえ、他者のその種の外的表出の背後に、実際に精神的・心理的諸状態が生起している否かは、私にとってつねに謎であるはずであり、さらには、そもそも諸々の精神的・心理的状態がそこに生起しうる精神や心が彼らにあるのかどうか(つまり彼らが私と同様に「我」であるのかどうか)さえ、私にとっては謎であるはずである。にもかかわらず、私は通常、外的表出の背後にある人々の心理的状態を問題なく理解しており、ときとして「振りをしている」のではないかと疑うことはあっても、すべての場合にそうするわけではない。いわんや、彼らに心があるかどうかを疑わしく思うことなどはまったくない。それはなぜであろうか。そこにはどのような機制がはたらいているのだろうか。」   子ども時代の問い ――ありがとうございます。今、読んで頂いた理由ですけれども、問いがすごく重なっているように私には思えて、30年近い時間を、この間21冊ぐらい本を出されているのですけれど、変わっていない問いをずっと出されているというのが永井先生の特徴の一つだと感じていました。日本の文化や、哲学という学問分野の中で、こういう子どもの頃の問いを持ち続けて、哲学という分野の言葉で書き続けていくのは二重に困難だったように思うのですけれども、なぜそれができたのかお聞かせいただけますか。 永井:二重ってどういうこと? ――二重というのは、日常生活でも日本人であるということで、哲学的な会話ってあまりないですよね。その中で子どもの時からその問いを持ち続けられてきたということも難しいと思いますし、哲学科に入ったら入った段階でいろいろな他の哲学者の本を読まされたりして、自分がこれをやりたいと思って哲学科に入ってもそれをやり続けることってすごく難しいと思うんですね。ですので、哲学科に入るまでの持ち続けられた難しさと、入ってから後もそれがずっとできたっていうのが、そういう意味で二重に難しかったのではないかと。 永井:まあ哲学を始める前は別にそんなに難しくなくて、それが生じてしまったから生じただけで、別に特に何か自分が何かしたってことはないわけですね。こういう問題が何か感じられたから、感じられただけですから。まあそれはしょうがないと。たまたまそうだったということですね。 ――何か文章に書かれたことはあったのですか? 哲学科に入る前に。 永井:あったといえばありますね。作文とかそういうもので。中学校の時とかに。こういうことを私は考えている。まあでも基本的に国語の先生ってのはみんなこういう問題を理解しないですね。先生で理解しがちなのはむしろ理系ですよね。これは学科で分類すると、こういうのは文系でかつ国語の先生みたいなものに作文とかで言うしかないけど、国語の先生は私の知る限り、こういう問題は決して理解しないっていう法則があるんですね。これが面白いところですね。 ――理系の先生というと? 永井:数学の先生。 ――こういう問題だというのを理解した? 永井:ということを理解した。そういう問題はあると。 ――ある! 永井:あると。 ――その時初めて自分が書いたことを、「そういうことってあるよね」と認めてくれる人がいたっていうことですか? 永井:そうですね。初めてというか。 ――書いたものに関しては。 永井:そうですね、はい。 ――言葉にされたことっていうのはもうちょっと前にあったのではないですか? 永井:あったような、ないような、よくわからない。自分でもはっきりしてないですからね、子どもの頃はね。だから言うっていっても、こんな今読んだような形でしっかり言うことはできないですから。だいたいそもそも通じるような形で言えないから通じないってこともありますよね。こういう風にちゃんと書けばわかる人でも、何か子どもがごちゃごちゃ言っても何言ってるかわかんないと思うでしょうから。 ――こういう問いが生じたっていうのは、一番最初は何歳ぐらいだったか覚えていらっしゃいます? 永井:一番最初の小さい時、小さいっていうのは幼稚園ぐらいですよ。 ――本当ですか!? 永井:ええ、そうですね。漠然とずっと、物心とともにあったっていうか…。まあ物心というよりも、まあもっと、2、3歳ぐらいだとすると、もうちょっと大きい5歳ぐらい。 ――5歳! 永井:漠然とあったと思いますよ。記憶、今の記憶じゃなくて、「小学生ぐらいの時に、その頃のことを思い出していた記憶」を今思い出すとそうですね。小学生ぐらいの時はむしろ、言葉で言える程度のことはもう思っ...
Aug 31, 2014
49 min
「あいだ」と〈私〉をつなぐ西田幾多郎の「場所」
インタビュー抜粋 田中:木村敏先生は朝鮮でお生まれになられて、お医者様のお父様の赴任地だったということなんですが、5歳まで京都で過ごされて、そのあと岐阜県高山市でお過ごしになられ、中学生までは岐阜においでになられた…。 木村:中学生、高山のね。 田中:はい、高山の斐太中学校を卒業されて、その中学校3年生の時に終戦を迎えられた。そのあと、旧制三高ですね、現在の京都大学理学部を経て、京都大学医学部に入学されました。精神医学の勉強をされてお医者様としてもその後、ご活躍されていらっしゃいました。たくさんの本をお書きになられていて、その他に哲学的な探求もなされているんですけれども、今日、私どもも編集しております『哲楽』という雑誌で「永井哲学の道のりと広がり」というテーマで編集を進めているのですが、そのあたりの重なりと木村先生のこれまでの人生をお伺いしていきたいと思います。最初の質問なんですけれども、「間(ま)」というテーマに関心をお持ちになったのは…。 木村:「ま」とおっしゃると…。もちろん「ま」でもあるんだけれども、私は「あいだ」という読みで言ってみれば言っているわけでしてね、やっぱり「あいだ」と「ま」というのは同じだと言えば同じだけど、漢字にすれば一緒になるんだけど、やっぱりね、「あう」という日本語と、「あいだ」というのと、重なりみたいなもの、それが気になるものだから、「あいだ」と言っているんですよね。だから私、「ま」と言いますと、音楽の方では「ま」という言葉がよく使われるけど。ちょっと違う。 田中:失礼しました、最初から、基本的なところを教えて頂いて。 木村:うーん、どう違うかわからないですけどね。例えば武満徹さんっていうのは私親しかったんですけれども、「ま」のことをしきりに言ってらっしゃる。非常に意見一致したんですけどね。まあ「ま」と言うと「間が抜ける」とか、音楽の場合だと、「ま」と言うとある音が鳴って、それからしばらく時間がたって次の音が鳴って、その二つの間の音のことをよく言いますよね、「ま」と。しかし武満さんは「間(ま)というのはそういうもんじゃない。間というのは一音の中にすでに間があるんだ」という考えを出しておられる。これは私、大賛成なんですね。私もそう思う、音楽をやっていて。どうやって言ったらいいのか(笑)。大変難しいので、そんなに簡単に順序立ててというか、わかりやすく説明はできないんだけれども、「あいだ」というものも、「あいだ」というと何かと何かの「あいだ」ということになって最低二つのものが必要に思えるんだけれども、その二つのものが「あう」場所は一つなんで、そういう点で「ま」と「あいだ」というのは近いといえば近いなあ(笑)。 田中:(笑)ありがとうございます。そうしましたらこれ以降は「あいだ」という風に呼ばせて頂きたいと思います。「あいだ」というテーマに関心をお持ちになったのが音楽からだったということなんですが。 木村:ええ…、はい。 田中:音楽との出会いが中学生の時ですか? 木村:です…かねぇ。出会いというほどのことはなく、全然何も音楽なんてやっていなかった。ただ、私の父親が高山の日赤、赤十字病院の院長をしていたんですがね、その副院長さんというのがもちろんおられて、やはり京都から赴任して来られた方なんだけど、その方のお嬢さんに、小学校の同級生でピアノがとても上手な方がおられたんですよ。それで「ああ、いいなあ」と思って、「弾けるようになったらいいのになあ」と思っていた時期が、これは中学、小学校の頃かなあ、中学というよりは。うーん。まあ、その頃から音楽が好きだったことは好きだったんでしょうね。しかし、特にはやってなかったな。ただ、私の家に昔の足踏みオルガン、母親がよく、多少音楽が好きだったのかな、たぶん。母親が嫁入り道具に持ってきた足踏みオルガンが、それをしきりに音を出していたから、というんでしょうね。ただ全く音を出さなかったわけではないんだけども。いいかげんなもんで。京都へ、三高ですね、旧制三高へ来た時に、どうしてか音楽部というクラブに入ったんですよ。好きだったということなのかな。教わり始めたのはその時が最初だなあ。きちんとピアノの先生について教わったの。あれいくつだ、えっと…。 田中:先生の『形なきものの形』というエッセイ集によると16才頃かと。 木村:もう結構大きくなっているわけです。だから音楽をやっている子どものように3歳、4歳からやっているわけじゃないので、当然指は動かないし、しかし必死になってピアノの練習をいたしましたね。それで結構上手になったんですよ。 インタビューは「哲楽」第6号と「哲学者に会いにゆこう」でお読み頂けます。          
Aug 29, 2014
48 min
防災道徳の授業で子ども達の行動する力を養いたい
藤井基貴さんは、静岡大学教育学部で防災教育に取り組んでいる。 大学時代、カント研究に従事していた藤井さんは、静岡大学への着任をきっかけに道徳教育に携わるようになった。大学で学んだカント哲学と、義務教育のなかの既存の道徳教育には乖離があるように思えたものの、2009年春から、教員を目指す学生達とともに道徳教育の教材の開発・実践を始めた。 東日本大震災が起こったのはその2年後のことだった。「先生、やっぱり今年は道徳教育の中で防災教育を考えたい」。そう提案したのは、研究室に所属する学生達だった。これまで蓄積されてきた防災教育実践の文献を読みこむ中で、「道徳の時間」でできることを探った。学生達と議論しながら育て上げたのが『ジレンマ授業』と『ジレンマくだき授業』の二段構成によるプログラムだ。 前半の『ジレンマ授業』では、子ども達はモラル・ジレンマ課題に取り組む。例えばこうだ。「あなたはカメラマン。地震が発生し、助けを求める声も聞こえる。あなたは救助をするか、それとも取材をするか?」子ども達はまずそれぞれの理由をもとに自らの立ち位置を決めるが、もちろんそれで終わりではない。当初抱いていた意見は、クラスメイトの発言や教師の問いかけを受けて大きく揺らぐ。揺らぎの過程で、何度も自身の立ち位置を見直す必要に迫られる。 子ども達が語る根拠はしだいに複雑になり、当初の二項対立の選択には収まりきらなくなる。藤井さんらはこの反省的過程を重視している。ジレンマに立ち向かっても答えの見つからない状況が、子ども達に行き詰まり感を生じさせ、そのことで、ジレンマを生じさせないような解決策を見いだす努力が生まれるのだという。 後半の『ジレンマくだき授業』では、災害時の行動選択をより良いものにするために、事前の備えなど解決策を探る。子ども達は身近な環境での対策を考え、防災に向けて行動するための具体的な手段を共有する。こうして、防災をめぐる哲学的探求が、その先にある「行動」に結ばれるのだ。 道徳教育における防災教育の試みは研究室の一大プロジェクトとなり、地震学の研究者達にも注目され、多数のメディアにも取り上げられた。目下の課題は、学校教育への導入の是非という観点も含めた、評価方法。道徳教育の枠組みに照らした評価や、批判的思考力の向上は一つの基準になり得る。しかし、この授業の目標は、子ども達が防災に向けた行動を自らの考えに基づいて行い、災害発生時にも実行に値する「解決策」を講じることにある。何のための評価かという点については常に問い直さねばなるまい。 教師の側の課題は、発問をする力だという。この授業実践は教師の役割に大きな転換を迫る。なぜならジレンマ授業の本質は、正解の導出ではなく、解決策の提案だからだ。教師は、多くの観点を教えるのではなく、問いかけによって子ども達の考えを「立体的に揺さぶる」必要がある。このため、最も必要とされる能力は「問う力」だという。授業実践は教師と子ども双方にとって、哲学的な議論を鍛える場でもある。 これまでの道徳教育では、思いやりの心を育むことに力が注がれ、それを察した子ども達は、教師が望む善意の行動を正解として授業のなかで答えざるをえなかった。藤井さんが目指すのは、教師が正解を示す前に、自ら理由を考え、語り、行動できる力の育成だ。藤井さんの設定する授業では、子ども達は驚くほど饒舌に語る。東北での3.11のあと、東海地震の発生が危ぶまれる静岡県において、具体的なテーマについて探求することが子ども達の言葉を引き出す起爆剤になっているという。 最後に「防災教育はカント的にいうと他律から自律へという方向にあってですね…」と、藤井さん。当初は防災教育とカント研究の関係はあまり考えなかったという。しかし今、藤井さんのカント研究と道徳教育、そして防災教育との連関は、「防災道徳」として統合されつつある。教師と子ども達による哲学的な対話が、藤井さんにそのことを気づかせたのかもしれない。 (取材:宮田舞) 藤井基貴さんの記事を含む「特集:3.11 後のサイエンス・コミュニケーション」は哲楽5号でお読み頂けます。 第5号 3.11 後のサイエンス・コミュニケーション(日英バイリンガル版)       2011年3月11日から2年半が過ぎ、この間さまざまな「リスク」に関する言説が流れた。  原発を維持するリスク、廃炉にするリスク、被災地に留まるリスク、逃れるリスク。 「科学的な事実をもとに、自分で責任をもった行動をとり、起こってしまった事故の責任は独自に追求すること」  は、意外に難しい。科学と哲学に関する研究者の声から、その先の未来を探った。 ●インタビュー 立花 浩司 働き世代のための科学広場を作りたい 村上 祐子 異なる価値観を受容するための論理性を定義したい 加瀬 郁子 3.11後の科学者の言説と社会の関係を探りたい 藤井 基貴 防災道徳の授業で子ども達の行動する力を養いたい ●コラム Column 復興支援活動を振り返る紀々さんピアノライブ ●哲学の現場からのレポート ハワイの哲学教育最前線 哲学サマーキャンプ潜入レポ 哲学オリンピックとサマーキャンプ体験記 哲学サマーキャンプ体験記 実は私、哲学徒でした 行ってみよう哲学カフェ ●連載エッセイ 隣の教室  吉永 明弘 「子どもの哲学」にようこそ!  土屋 陽介 技術者の卵のための哲学教育 村瀬 智之 科学と対話の実践記 宮田 舞 ナンバークロスワード  
May 29, 2014
29 min
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