リジョイス聖書日課
リジョイス聖書日課
RCJメディアミニストリー
リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。
新しい人として生きる(ローマの信徒への手紙 6章)
キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。 (ローマの信徒への手紙6章3節) 洗礼によって、人はイエス・キリストとひとつに結ばれます。それは第一に、キリストの死にあずかることです。キリストが十字架の上に死なれ、墓に葬られたように、わたしたちの古い人、すなわち第一のアダムもキリストとともに十字架に死に、葬られるのです。 私たちはそこで文字どおり一度死ぬことになります。第一のアダムは第二のアダムの恵みの力によって息の根を止められます。罪のわたしはそこで死ぬ。そしてわたしが死ぬべきであったその死は、そこで滅ぼされるに至るのです。罪と死に支配された古い人を死に至らせ、葬り去るキリストの恵みの御業は完全な御業です。十字架の御業の完全性こそ、私たちの救いの確かな根拠です。 第二に、洗礼によって私たちはキリストと共に復活し、新しい人、つまり、もはや罪と死の支配から完全に解き放たれた新しい人として生き始めるのです。私たちは今や新しい人です。第一のアダム(古い人)と断絶し、絶縁した人間です。それゆえ私たちは、もはやこの罪の根から生え出ては来ません。罪の空気の中で息をしないのです。罪の力にとらわれてはいないのです。 【祈り】 キリストの死と命にあやかり、キリストに結ばれて生きる、新しい命の恵みに感謝します。アーメン。
Feb 18, 2022
圧倒的な恵みによる勝利(ローマの信徒への手紙 5章)
しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。 (ローマの信徒への手紙5章15節) 第二のアダムであるキリストは、第一のアダムを罪と死の中に投げ込んだサタンの支配とたたかい、これを打ち破られました。サタンに対する完全な勝利によって、すべてのアダムの子孫は罪と死の縄目から解き放たれました。今や世界は、また私たちも、アダムからキリストへと移されています。死から命へと移されています。 第二のアダムの勝利は単にこのわたしの命の救いにとどまらず、世界全体、人類全体の歴史的転換であることを覚えたいのです。第二のアダムの御業はこの世界のさだめが覆り、死が死ではなくなり、絶望が希望に変わり、これまで世界と人間とを縛りつけていたあらゆる限界が取り払われる、そういう出来事でありました。キリストとはそのようなことを成し遂げられた御方です。キリストが救い主であるとはそのような意味なのです。第二のアダムによってこのわたしの人生が変えられたのみならず、世界のさだめも180度覆されました。 この転換は十字架の血によってもたらされた転換です。神の愛と恵みによる転換です。第一のアダムは第二のアダムにより凌駕されています。神の恵みの賜物は、罪とは比較になりません。 【祈り】 第二のアダムにより、世界も私たちも新しくされました。大いなる恵みです。アーメン。
Feb 17, 2022
キリストの贖いの御業により(ローマの信徒への手紙 3章21節-4章25節)
神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。 (ローマの信徒への手紙3章25節) 神の子キリストは、私たちと同じ人間となられ、罪人のひとりに数えられるお方として、私たちの罪の現実のただ中に入って来られました。そして私たちの死を代わってその身に引き受け、死なれました。十字架の上で尊き血潮を流されました。 キリストの死は、私たちの罪の代価です。神に対して代価を支払うべきは私たち自身でした。しかし、神は私たちを罪とその報いとしての死から救い出すために、愛する独り子を死に引き渡されました。これが贖いの御業です。ここに神の愛があります。 独り子を死なせるほどに私たちを愛してくださったこの神の愛ゆえに、私たちは罪と死の支配から解き放たれ、自由の身とされたのです。永遠に自由の身なのです。まことに感謝すべきことです。 神が独り子を通して私たちのために成し遂げてくださった救い。この救いの恵みにより、私たちは闇から光に、死から命に移されました。御子の十字架の贖いによってただ恵みにより、無償で義とされる道。この道こそすべての人間にとって、唯一の救いの道です。この恵みの道を通っていくことによってのみ、私たちは神の栄光を受けるのです。 【祈り】 独り子を十字架につける愛により、私たちは生かされました。感謝いたします。アーメン。
Feb 16, 2022
律法を持つ者も持たない者も(ローマの信徒への手紙 2章1節-3章20節)
神は人を分け隔てなさいません。 (ローマの信徒への手紙2章11節) 律法―神の言葉を守り行うことにより、人は命に至る。これは聖書全体が示す原則です。しかし全人類は始祖アダムにあって罪に堕ち、生まれながらに律法に背く者です。この点はユダヤ人も異邦人も同じです。 神の選びの民であるユダヤ人には律法が与えられました。しかし、ほかならぬその律法が彼らの罪の姿を浮き彫りにしました。彼らは律法を守ることに熱心でしたが、律法の条文を厳格に守ることに意を用いるのみでした。人の心の奥底を問うことをしませんでした。けれども律法は人の内なる心を問うのです。外側では律法を守っていても、心の中では人をさばいている。高ぶっている。この人間の分裂した状態を問います。 律法を与えられなかった異邦人はどうであったでしょうか。律法を持たなくとも、実は彼ら自身の心の中に生まれながらに律法が刻みつけられていました。異邦人といえども神の被造物です。このことは堕落後も変わりありません。彼らもまた「内なる」律法により、その罪の姿を糾弾されることになります。 ユダヤ人も異邦人も等しく罪人です。ユダヤ人にも異邦人にもキリストの救いが必要なのです。 【祈り】 わたしもまた罪人であることを、御言葉の真理によって教え示してください。アーメン。
Feb 15, 2022
福音に啓示されている神の義(ローマの信徒への手紙 1章)
福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。 (ローマの信徒への手紙1章17節) ローマの信徒への手紙1章から8章は救いと命の真理を説き明かします。1章16、17節は手紙全体の主題を要約して示します。それは「神の義」です。キリストの福音において示されたこの神の義は、受け身の義です。人間が自ら勝ち取るべき義ではないのです。人は皆生まれながらに罪人であって、自分を義とすることはできません。救いにおいて無力です。 神は人間を救うため、自ら義を立ててくださいました。ここに言われる義。それはキリストの義です。キリストは十字架の贖いの御業により、信じる私たちを無罪としてくださいました。それだけでなく、生まれながらに律法を守り行うことのできない私たちのために、律法に完全に従い通されました。そして御自身が勝ち取られたこの義をあたかも上等の上着を着せるようにして、贈り物としてまとわせてくださったのです。 義とされるとは、神との関係が正しく、すこやかにされるということです。そのためにキリストがすべてのことを成し遂げてくださいました。私たちはキリストの恵みの御業をただ信じ、受け入れることで義とされ、救われます。これこそこの書物が語り示す「福音」、喜びの知らせです。 【祈り】 あなたのひたすらなる恵みにより、私たちは命を得ました。感謝いたします。アーメン。
Feb 14, 2022
主を慕い求めて(詩編 42-43編)
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻くのか。 神を待ち望め。 わたしはなお、告白しよう 「御顔こそ、わたしの救い」と。 わたしの神よ。 (詩編42編6節~7節) 題の「コラの子」はレビ族の家系で、詠唱者あるいは門衛として代々、幕屋・神殿での務めを担いました(代上6章16節以下、同9章17節以下等)。しかし、詩編の作者は今、エルサレムから遠く離れた北の僻地にいます。決して彼自身が望んでその場所に赴いたわけではありません。何らかの事情によって、エルサレムを離れざるを得なかったのです。 自らが置かれている境遇を嘆きつつ、エルサレム神殿での素晴らしい時間を思い起こします。「喜び歌い感謝をささげる声の中を、祭りに集う人の群れと共に進み、神の家に入り、ひれ伏したことを」(5節)。それは詩編の作者にとって「命の水」でした。そして神殿から遠く引き離されている今、なによりもそれを求めているのです。 原因はまったく異なりますが、ある意味で私たちもまた同じ状況を経験していると言えるでしょう。コロナ禍によって、礼拝をささげたいのにかなわないという魂の渇きを引き起こす状況に置かれることになったからです。「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。神を待ち望め…」。詩編の作者が繰り返し語る言葉は、力強い慰めと励ましです。主はご自分を慕い求める民の願いを必ず聞きあげてくださいます。 【祈り】 命の主よ、あなたを慕い求めるわたしの魂を潤してください。主の御名によって祈り願います。アーメン。
Feb 13, 2022
主が共にいて栄光を満たされる(出エジプト記 40章)
雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。 (出エジプト記40章34節) いよいよ幕屋が完成します。主がモーセに幕屋建設の指示を出されたのは25章ですから、出エジプト記後半の多くが幕屋に関することに費やされていたことになります。主がイスラエルの中に住んでくださるための幕屋がそれだけ重要なのです。幕屋完成の日として指定された第1の月は、かつてエジプトで過越の御業が行われた月です(12章)。主がイスラエルを守り救い出されたことが思い起こされたことでしょう。 幕屋は「主がモーセに命じられたとおり」に完成されたことが丁寧にくり返し確認されています(9、21、23、25、27、29、32節)。主がモーセに命じられたとおりに幕屋を完成したとき、主は幕屋を雲で覆い、ご自身の栄光で幕屋を満たしました。モーセでさえも幕屋に入ることができないほどの栄光です。イスラエルが荒れ野を旅する間、主は幕屋の上の雲によって常にイスラエルを導き、イスラエルと共にあることを示してくださいました。 主はご自身が救い出された者たちと共にいてくださろうとしています。キリストによる救いを得た私たちも、主が命じられたとおりに礼拝し、生活することで、主が共にいてくださる旅路、主の栄光が現わされる人生を豊かに味わって参りましょう。 【祈り】 主よ、あなたの命じられたとおりに歩みたいと願います。私たちと共にいて栄光を現してください。
Feb 12, 2022
神の平和を求めるとは(マタイによる福音書 5章9-10節)
平和を実現する人々は、幸いである、 その人たちは神の子と呼ばれる。 義のために迫害される人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。 (マタイによる福音書5章9節~10節) きょうは「建国記念の日」の「祝日」とされています。しかし私たちキリスト者は、神話に基づいて定められた日を祝うことをしません。また、私たちが祝い喜ぶのは、主なる神を礼拝する時だけだからです。そのためキリスト教会では、この日を「信教の自由を守る日」とします。 このように語れば、主が求めておられる平和とは関係のないことが議論されているように思われる方もいるかも知れません。 しかし、私たちキリスト者は、このことに関して無関心でよいのでしょうか。主なる神は、偶像崇拝を禁じておられます。そして、何も語らないことは、天皇による神の国を受け入れる偶像崇拝を行っているのと変わりません。 主なる神が求めておられる平和は、キリストの再臨と最後の審判によって実現します。その時、すべての偶像は滅ぼされ、私たちキリスト者は、主によって与えられる平和に満たされます。 そのため、今の日本に生きる私たちキリスト者は、偶像に対して、神の武具を身に着けることが求められています(エフェ6章10~18節)。私たちは、主が求めておられる御言葉に敏感に聴き従うことが求められています。 【祈り】 神様が求めておられる平和を実現する者として、私たちの信仰を強めてください。
Feb 11, 2022
主が共にいてくださるために(出エジプト記 35-39章)
モーセに言った。 「この民は、主がお命じになった仕事のために、必要以上の物を携えて来ます。」 (出エジプト記36章5節) シナイ山の上で幕屋の建設が命じられていましたが(25~31章)、若い雄牛の像を造って拝むという罪を犯したため中断されていました。モーセの執り成しと主の赦しを経て、いよいよ幕屋の建設が始まります。 まず必要になるのが資材です。モーセは、「進んで心からささげようとする者は、それを主への献納物として携えなさい」と言って、必要な資材を自主的に献げるように呼びかけます。人々の反応はどうだったでしょうか。幕屋づくりに携わる者たちが、民が「必要以上の物を携えて来ます」とモーセに報告して、受け付けの中止を告げなければならないほどでした。決して余裕のある中から携えて来たわけではありません。たとえば、祭司が手を洗うための洗盤は、婦人たちが大切にしていたと思われる青銅の鏡で作られました(38章8節)。 幕屋は主がイスラエルの中に住むことを示します(25章8節)。民が掟に背いて雄牛の像にひれ伏したとき、主は彼らの間にあって上ることはしないと言われ、民は嘆き悲しみました(33章4節)。幕屋の建設が許された今、民は自ら進んで資材を持ち寄り、主が命じられたとおりに忠実に幕屋を造りました。主と共にありたいという彼らの熱意です。 【祈り】 主よ、私たちも、あなたが共にいてくださることの重要性を心に留めて、そのために喜んで仕えます。
Feb 10, 2022
憐れみ深く恵みに富むまことの神(出エジプト記 32-34章)
「何によって…御好意を示してくださることが分かるでしょうか。あなたがわたしたちと共に行ってくださることによってではありませんか。」 (出エジプト記33章16節) モーセが山の上で幕屋や祭司について指示を受けている間に、イスラエルの民は金で若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、祭りを行いました。「主が語られることをすべて行い、守ります」(24章7節)と誓ったばかりであるにもかかわらず、像を造って十戒の第二戒を犯しました。 主はイスラエルを滅ぼし尽くそうとしますが、モーセの執り成しにより思い直されます。ただし、民が約束の地に向かっても「わたしはあなたの間にあって上ることをしない」と、彼らと共にあることを拒まれます(33章3節)。民は嘆き悲しみます。幕屋の建設は、主がイスラエルの中に住まれることを示すはずでした(25章8節)。主のイスラエルへのご好意を示し、彼らが主の民として特別であるために欠かせないのが、主が共に行ってくださることでした。すべてが無に帰すのでしょうか。 主は「憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す」お方です(34章6、7節)。彼らと共にあることを約束し、改めて契約を結んでくださいました。偶像の前で踊る民を見てモーセが砕いてしまった石の板を作り直させ、十の戒めを記して、契約を確かなものとしてくださいました。 【祈り】 憐れみ深く恵みに富む神よ、あなたの慈しみを示すキリストのゆえに、私たちの背きと罪を赦してください。
Feb 9, 2022
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